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カテゴリ:デザインするって?( 34 )

ヴィジュアル コミュニケーション スタデイに行く

現在六本木、東京ミッドタウンにある、ムサビのデザインラウンジで、企画展「ヴィジュアルコミュニケーションスタディ」が開催しています。
ムサビの視覚伝達学科で行われている教育内容を公開展示するものです。この展示では、視覚伝達デザイン学科で実際に行われている演習内容や、どのような教育をしているのかを、手にとって見ることのできる資料により紹介されており、これから視デを受験しようとする受験生はもちろん、ヴィジュアルデザイン全体について興味のある方も見ていただきたいと思います。

ムサビの紹介文によると

その教育の特徴は身体性と感覚の覚醒を促し、クリエイティブ・リサーチを重視した基礎課程であり、加えて多様で高度なデザイン専門課程と、現在進行形の社会とその歴史を見据えた創発的デザインとの統合を目指す教育理念にあります。  ムサビのパンフから引用

とのことですが、その成果を実際に見られる機会を与えてくれるのが、今回の展示でしょう。
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そもそもヴィジュアル コミュニケーションとは、視覚により伝える・伝わる、ということです。20世紀以降のデザインが目指したものは、見ればわかるしくみの追求でした。これは簡単なようですが、難しい問題をはらんでいます。
五感の一つである視覚は、ほかの身体感覚とも分かち難く結びついているのです。そもそも視覚だけがあるわけではなく、聴覚や触覚もある。見ている瞬間、それを使用しなくても他の身体感覚もまた、なんらかの反応をしているのです。また身体は相互に反応を誘起させるものでもあります。「ヴィジュアルで伝える」ことは、その背後の身体性もまた、つねに考慮に入れていなくてはなりません。デザイナーはほんらい、そのような身体感覚を覚醒された存在であり、デザインされた「モノ」もまた、新体制を覚醒させる存在となるべきなのです。
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視覚伝達デザイン学科の一年次に行われる、眼を閉じて歩き、触れる、感じる、という課題なども、そのような身体性の覚醒を目指すものでしょう。視覚なしの世界で、触れたものや感じたことが、見えていたときとどのように異なるのか。見ないことで見いだされる、新しい感覚を知ることによって、視覚を再認識する。デザインはそのようなからだの感覚を揺り動かすなかで、しだいに胎動していくのです。

また、タイポグラフィや書物に興味のある方にとっても、新たな発見が溢れています。
文字による変幻自在な表現のひろがりを見て手に取れるのも、今回の展示の良いところでしょう。
会期はクリスマスまで。
乃木坂、六本木にお越しの祭は是非寄ってみて欲しい展示です。


by seibi-seibi | 2019-12-16 11:32 | デザインするって? | Comments(0)

駒形克己展に行く

現在板橋区立美術館で開催されている「小さなデザイン 駒形克己展」に行ってきました。

駒形さん展示には、かって娘さんがセイビに在籍していたこともあり、何度か足を運んでいます。今回は板橋区立美術館での大規模な展示となります。若くしてアメリカに渡航した駒形さんはLAやNYのデザイン事務所に勤務して、アメリカでグラフィックデザインの仕事をしてきた方です。三大ネットワークであるCBSやなど、さまざまな現場でグラフィックデザインを手がけ、帰国後はデザイン事務所を立ち上げられ、その傍らで絵本の製作をなさり、フランスやイタリアの絵本の国際賞(イタリア・ボローニャRAGAZZI賞 優秀賞、2002年スイス国際児童図書賞(F.E.E.)特別賞)を受賞なさるなど、目覚しい活躍をなされています。
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駒形さんの絵本には、何かしら面白い細工が仕込まれています。
ひとつは穴を空けること。紙に穴を空けると、次のページが見えてくる。そうするとだれでも、その穴の中に見えるものと、その外側に広がっているであろう世界が気になるのです。読み手はどうしても次のページをめくらずにはいられまくせん。そしてめくると、想像したものを超える、おもっても見なかった世界やことばが現れるのです。その意外性は感覚を刺激し、展開する世界に引き込みます。この視覚の仕掛けが、絵本の各ページに用意されています。穴を穿つことで、紙の表裏がつながり、ひとつの連続した空間となります。それをめくる瞬間、穴から射しこむ光と、同時に現れる影が、さらに空間を立体的に演出します。こまやかで隅々まで行き届いたデザイン思考が感じられる瞬間です。ほんの些細な翳りのなかに、デザイナーの配慮を感じられるのです。映画で言うとアイリス。小さな穴の向こうにはなにがあるのか、鍵穴から差し込む光に想像力をかきたてられるように、ひとは穴の向こうの世界、その気配の誘惑に突き動かされるように、ページをめくりたくなるのです。
また、意外なものではっとさせる、気づかせるというのは、いかにもグラフィックデザイナーらしい発想だとおもいます。ふだん固定されがちなものの見方や考え方を、異なった視点からみせてくれる。複眼の思考とでも呼べる、多元的に捉えなおすことの面白さを、小さな絵本の中につくりだしているのです。
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また、グラフィックデザインがどのような行為であるのか、なにを目標とするのかを、つぶさに見せてくれる展示でもあります。紙媒体と文字(フォント)、そして色彩が、どのように紡ぎだされるのか、展示を通じて理解できます。なにより繊細に、突き詰めて考えた末に決まるグラフィックという仕事の奥深さや、そこまでに至るまでの苦心なくしてできあがらないだろうことを、掌の上のおける小さな絵本が語ってくれるようです。
グラフィックデザインや絵本に興味のある方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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by seibi-seibi | 2019-12-13 14:00 | デザインするって? | Comments(0)

小野二郎と平野甲賀

現在、世田谷美術館で開催中の企画展「ある編集者のユートピア」小野二郎 晶文社 ウィリアム・モリス 高山建築学校を見てきました。晶文社の設立に尽力し、編集者としてだけではなく、ウィリアム・モリスの研究者でもあった小野二郎をめぐる展示です。晶文社というと「植草甚一スクラップブック」「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」「ヘミングウェイ キューバの日々」といった書物が、書影とともに思い出されます。晶文社の書物は、そのジャンルの多様さと面白さと共に、なにか人をひきつける魅力を放っています。書影に惹かれて何気なく手にとって見ると、そのおおくが晶文社の書物であるといった体験を何度したか知れません。それは当然個性的なデザインによるところがおおいわけですが、それだけでは説明できない「なにか」を感じさせる書肆。それが晶文社の書物にはあります。今回の展示では、それらの魅力的な書物を編集・出版してきた小野二郎に焦点が当てられています。
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1960年に設立した晶文社は、出版業界を少なからず揺るがし、サブカル的な分野をも取り込み、ジャズ・映画から純文学を縦断して、それまでの「ジャンル」を突き崩していったといえます。ブーレーズとチャーリー・パーカーとローリング・ストーンズを縦断していく晶文社の出版物には、垣根などなかったといえます。いや、垣根はわたしの心のうちにこそあったのでしょう。読者を挑発してくるようなその姿勢と共に、手に取ると読んでみたくなる書物。自分の興味のない分野の書物でも、晶文社の本であるからには読まなくてはならぬ、そういう気分にさせられたものです。そしていつのまにか、見えない壁を破って、境界を越え、遠くまで旅する契機をつくりだしてくれたのが晶文社であったのです。
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展示物の多くは、晶文社の書影で占められており、改めてその夥しい書物を前にしてみると、私の書棚を占有している書籍のなんと多いことか・・・。べつに晶文社を選択して購入した覚えはないのに、なぜか晶文社の書物が多いのです。それはきっと、時代を反映した編集方針が琴線に触れたのかもしれません。そしてまた、そのブックデザインのほとんどが、平野甲賀氏の手になるものだったことも、今回の発見でした。
平野甲賀氏のデザインといえば。平野グロテスクと呼称されるている特徴的なフォントによるものばかりを想像しますが、晶文社のブックデザインを一気に引き受けていたわけですから、それ以外の書物についてもデザインしています。ウィリアム・モリスに傾倒して、その研究に生涯を賭けていた小野二郎氏と平野甲賀氏。この二人の出会いと共働は、やはりその源泉を、ウィリアム・モリスに求められるようにおもえます。
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小野二郎氏はかって、ウィリアム・モリスについて論じたなかで
「15世紀の書物について言えば、それらの多くが惜しげもなく飾られている、あの付け足しの装飾がなくても、単にタイポグラフィの力だけで常に美しいものであったことを、わたしは認めてきた。そこで、活字を印刷し配列したものとしてみたとき、一つの喜びになるような書物を作り出すことが私の企ての要諦となった」
という、モリスの言葉を引用しながら、活字の美しさと配列、行間や字間の間取りの問題こそが、モリスの書物デザインの基本だと述べ、そこを出発点として、ケルムコットプレスの書物について述べています。
書物が「読まれる」ためのツールである以上、読みやすさこそがその第一にある。カバーや口絵といった現代のブックデザインが意味する内容とは異なったモリスの考え方、それは一見、装飾への軽視であるようにも感じられますが、「チョーサー著作集」の凝った挿絵や飾り文字を持ち出すまでもなく、モリスはトータルでの書物のデザインを考えていました。中世の著作から蒐集した字体を参考に、モリスは三つの書体(フォント)を考案します。「黄金伝説」で使用したゴールデンタイプ=ローマン体(1890年)、「トロイ物語集成用」用のトロイタイプ=ゴシック体、「チョーサー著作集」用のチョーサータイプ=ゴシック体(1893年)の三種類。この三種類のフォントは、使用する書物のが中世ならゴシック、近代ならローマンというふうに使い分けられました。書物の成立年代に見合ったフォントを考案し、読みやすさと共に格調も表現しようとしたのでしょう。
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文字の並びと余白。字詰めや行間にデザインの基礎を置く思考は、現代のグラフィックデザインにも通底する、普遍的なデザイン思考でしょう。モリスが単なる懐古趣味で中世やローマ時代の書体を渉猟したのではなく、すぐれて現代的な捉え方で、書体を抽出していたわけです。モリスのフォントが後のフォントに与えた影響は大きく、そして20世紀の到来とともに、読みやすくて合理的なフォントへと展開していったのも、時代の要請から、当然の成り行きでした。
「サンセリフ」といった、現代もっとも馴染み深いフォントも、そういう合理性の申し子といえます。文字の上下に付け加わるセリフ(ひげ飾り)を取り除いた=サン、セリフなしのフォントは、直線的で読みやすいフォントの代表例です。文字から余計な装飾を排すれば、描きやすさと同時に、各文字の個性が失われていきます。説明書やマニュアルといった、合理的で的確な伝達が求められる媒体の増加が、サンセリフを要請したともいえます。
サンセリフの採用はたしかに、合理的であり読みやすくはなります。明快で迅速に伝える道具としての文字。一種の機能優先主義。ヤン・チショルドが提唱した「ニュー タイポグラフィ」(1928年)に至って、文字の完全な明快さ、経済性とも結びついていきます。しかし、文字の持つ個性や、「個人的なもの」は、どこかに置き忘れられていく。グラフィックデザイナー、杉浦康平氏の言葉を援用しながら、小野二郎氏は、フォントにおける合理性の追求が「文字を成立させていた、人間が書くということを通じて文字の中に浮き立たせようとしていた、人間の身体のリズム」を置き去りにしていくことに憂慮しています。いわば雑音のようなぶれ、合理性の枠組みに収まらない人間らしさ、現代の文字が失った活きている文字としての「活字」、その喪失を嘆いています。けれども、モリスの追い求めた「読み易さ」は単なる合理性だけのためのそれではなく、「何かをきちんと守ることでこの「雑音」の発生を、つまり偶然を必然ならしめる方法であったことがわかるだろう」と看破します。読みやすいと同時に、人間の精神を運ぶ船としての、伝達するフォント。モリスが求めた「理想の書物」は、文字というものがになってきた、精神のうつわとしての機能を具体化したものであったはずです。
翻って晶文社の書物群を眺めてみると、自在にうごめくかのような平野甲賀氏により装丁されたデザインに眼を奪われます。空間を取り込んでいくようなフォント。紙面の白を取り込んでいくその文字には、自由さを感じます。言い換えれば、文字の開放。グロテスクというよりもヒューモアに満ちた文字。それは、かって小野二郎氏が、ウィリアム・モリスから得た、活きた文字としての書物への、一つの回答であったようにも思えます。

参考 小野二郎『世界設計としてのタイポグラフィ」 小野二郎著作集 晶文社  文中「」内引用は、この著作からのものです。


by seibi-seibi | 2019-05-15 14:07 | デザインするって? | Comments(0)

9月はデザインあ展へ



デザイン科の恒例となってきた「デザインあ展」の見学、今年も行ってきました。
「デザインあ展」を見て、とにかく考えてほしいのは、デザイン思考なのです。
デザインすること、その方法と考え方が、いったいどのようなものであるのか、それを実際に見て、考えてほしい。そう考えて、毎年、この展示に足を運んでいます。
デザインしていくというのは、なにかを直接的にただ提示したり、宣伝したりするものではなくて、その対象の特長とか、普段気づかない点などに着目して、人をひきつけ、驚かせたり、考えさせたりする、そういう仕組みのプロセス全体を指します。デザインされるとは、物事を分解して整理し、分析して、どのように伝えるか、発信するかを考えることにほかなりません。
ただ、カッコ良くする、飾り立てる、ということではないのです。
デザイン思考の、根底にある考え方を、楽しみながら学べる展示として、「デザインあ」展は良く考えられていると思います。日本においてはこのような展示が非常に少なく、デザイン思考の有用性を知ろうとしても、なかなか簡単ではないのが実情でしょう。今回の展示のなかから、生徒たちが、何か一つでも、気づいて、覚醒されることを祈っています。


by seibi-seibi | 2018-10-18 15:24 | デザインするって? | Comments(0)

フィンランドデザイン展に行く



9/9から10/22まで府中美術館で開催されている、フィンランドデザイン展に行ってきました。
最近人気が出てきて、その存在を知られるようになったフィンランドのデザイン。
「北欧」ということばとともに、知的で、けれどもどこか素朴な印象があり、そのぜんたいからある種の「暖かさ」を感じさせずにはおかないデザインに、人々は安らぎと癒しを感じているのかもしれません。
マリメッコの豊かで大胆な色使いや、マイヤ・イソラの自由でユーモアをたたえたデザインから、イッタラやアラビアに代表される陶器の洗練されながらも柔らかな造形に、「フィンランドらしさ」を仮託して見てしまう。そういう傾向があるようです。
それがフィンランドの持つ国民性や、地理的な条件から来るものなのかは、わかりません。ただ、第二次大戦後、ようやく豊かになりつつあった1950年代以降のヨーロッパからの影響を受容しながら、フィンランドらしく発展したということは言えると想います。
しかし、アルヴァ・アアルトのパイミオといった椅子を見れば、それがバウハウスの機能主義を基礎におく、きわめて合理的な思想の流れに拠っていることは、一目瞭然です。スタッキングできる、アルテック社の椅子など、バウハウスらしさが前面に押し出されています。フィンランドでも、ドイツの合理主義から影響を受けた、このようなデザイナーが輩出されています。けれどもやはりなにか、「フィンランドっぽく」見えてきます。
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それはたぶん、19世紀から続く、木工家具の製作技術や、それを支えていたであろう職人たちがたくさんいたからではないかとおもいます。デザインしたものを、最終的に作るのは、人です。人の手を経てしか、モノは生み出されません。そこに暖かさ、優しさがあったからこそ、あのような柔らかな造形が出来上がっていったのだろう、と感じました。

展覧会場にはアアルトの椅子や、エール・アーロニオのボールチェアが置かれていて、実際に座り心地を体験できます。また、ショップのマリメッコ関連の書籍の多くは、セイビ卒業生 島塚絵里さんの手になるものです。ぜひ手にとって見てください。

by seibi-seibi | 2017-09-28 15:57 | デザインするって? | Comments(0)

デザインの解剖展にいく

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10月14日から開催されている、「デザインの解剖展」に行ってきました。今回の展示ディレクターは佐藤卓氏です。
およそ世の中にある「製品」で、デザインされていないものはありません。
どんな身近なものであっても、そこにはデザイナーのさまざまな考えや、思いが反映されています。
デザインの視点で、それらの「製品」を解剖してみたら、どうなるのか。それがこの展示のコンセプトです。
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「明治おいしい牛乳」「明治チョコレート」「きのこの山」「明治ブルガリアヨーグルト」といった製品のパッケージ、包装、内容物にいたるまで、そのすべてを、細かく、ひとつひとつ、デザインという視点で分析検討していきます。普段見落としがちなパッケージの隅々まで、いかに細かく考えられ、工夫がなされてきているのか。非常に良く分かります。
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デザインとは機能性を維持しつつ、意味をもたせること。分かりやすく、伝わりやすくすること。
食卓に上る日常製品のパッケージも、これだけの検討がなされてきたのか、と驚かされます。また、巨大化させることで、いままで見落としていた、些細な点も露になってくるという展示でもありました。
パッケージデザインに興味のある方、いや、デザイン全般に歓心のある方にとって、絶好の展示だろうと思います。
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by seibi-seibi | 2016-10-27 13:22 | デザインするって? | Comments(0)

リートフェルト ムナーリ ADO展に寄せて

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現在、オペラシティにて、「オランダのモダンデザイン リートフェルト ムナーリ ADO」展が開催されています。オランダ、ユトレヒトで始まった、「デ・ステイル」の活動において、モンドリアンとともに重要視されるリートフェルト。今回の展示では、いまや世界遺産にもなったシュローダー邸の設計でも有名な、リートフェルトを中心にした、構成主義的なモダンデザインの系譜を、豊富な資料と共に確認できる、機会を提供しています。
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家具職人の息子であるリートフェルトは、家具製作からはじめ、のちにデ・ステイルに参加したあと、有名な「アームチェア」を世に送り出します。今回の展示では、設計図やいくつかの試作品なども展示され、モダンな家具の源流となった、リートフェルトの作品の変遷が確認できます。
直線のみで構成していくことの斬新さ。20世紀初頭のユトレヒトにおいて、それがどれほど革命的な造形として写ったことでしょう。それまでの、装飾的な要素をかたくななまでに排除した、椅子は、どこか奇異な印象も与えます。
しかし、そのカタチに込められた、新時代のデザインは、変わり行く世界の未来を、予見していました。
当時はまだ、高層建築などなく、直線のみで校正される建物自体が、まったく新しい造形思想であったのではないでしょうか。のちに、リートフェルトの設計したシュローダー邸もまた、時代を先取りした、まったく新たな建築物でした。機能的に配置された、いくつかの矩形が建物の原理となっていて、大きく外に広げられる窓を開ければ、部屋と外は、一続きの空間のように変貌する。それまでの建築では成しえなかった、新しい住空間を作り出しています。ポップとも捕らえられる、三原色がアクセントに用いられた部屋。機能性と共に、安価な建築が可能であったことも、現代を先取りしています。
ムナーリもまた、同様の系譜の中に連ねられる、グラフィックデザイナーです。圧巻なのは、ミッフィの原画でしょうか。実際の絵本製作に当たって、ムナーリがどんなふうに考え、手を動かしたのか、その軌跡が、手をとるようにわかるのです。シンプルな色彩と形の中に、限りない想像力をかきたてる魅力を内包する。ムナーリの作品には、そういう力があります。
今回展示されているものは、グラフィックデザインの源流となったものですし、現在のデザインにも通じる普遍性があります。デザインに興味のある方は、ご覧になってはいかがでしょうか。
by seibi-seibi | 2016-10-24 16:47 | デザインするって? | Comments(0)

デザイナーになるまで マリメッコ編

 以前も紹介しました、セイビ卒業生、島塚絵里さんの、紹介が、ネット上にありましたので
ここでも紹介したいと想います。
 島塚さんは、現在マリメッコのテキスタイルデザイナーとして、活躍されています。
 彼女がセイビに在籍していたのは、十数年前です。
 島塚さんは、デッサンも描けましたし、平面構成もできました。
 ただ、一番できたのは英語。会話も流暢でした。
 セイビ在籍中「日本でもがんばってる、女子高生がいる」という趣旨の、CNNの番組に出演。
 CNNのスタッフとのインタビューもセイビで撮影し、全米配信されました。
 受験も間近になった冬のある日、美大もいいけれど、語学もしたいし、見聞も広めたいと話してきてくれまして、「だったら、一旦美大受験は止めて、勉強したらいい」と助言しました。
 彼女はそれで津田塾を選択し、数ヶ月の受験勉強で合格しました。
 美大受験予備校で津田塾は奇妙ですが、やりたいことが、偶然そこにあったわけです。
 それ以降、英語力を生かして世界を回るうちに、現在のキャリアにたどりついたわけです。
 
 デザイナーになるのにも、いろいろな道があると、セイビでは考えています。
 さまざまな生き方、考え方があるように。
 一人の普通の女子高生が、デザイナーとなるまでの道のりを、
 このブログからも感じ取ってください。
 これはなにも、特別な事例ではありません。
 明日のあなたかもしれないのです。
 島塚さんの紹介はこちら。
 
by seibi-seibi | 2016-08-23 19:40 | デザインするって? | Comments(0)

三宅一生展におもう

『複雑にするのは簡単だが、シンプルにまとめるのはむつかしい。
複雑にするには、色とか、形とか、動きとか、飾りとか、人とか、ものにあふれた環境、お好みのものを、どんどん加えていけばいい。
複雑にするのは、誰にでもできる。でも、シンプルにまとめることができる人は、ごくわずかしかいない』ブルーノ・ムナーリ
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MIYAKE ISSEI展に行って、まず浮かんだのはこの言葉でした。
「着飾ること」を目的とした分野であるファッション。それは宿命的に装飾的要素を持っています。「着飾る」という行為のなかには、多分に過剰な装飾への欲求が見え隠れします。美しくみせたい、綺麗でありたいとねがう人々にとって、その誘惑と無縁な人はいないのです。けれども、「衣服」は本来、身にまとい、からだを保護し、暖かさを保つ必需品として発達してきました。身分や階級を示すしるしとして、あるいはファッションとしての衣服の機能は、その上に立って成立してきたのではないでしょうか。
 60年代から活躍した、かれの作品ははじめ、オートクチュール( haute couture)からはじまり、プレタポルテ(prêt-à-porter)へと向かいます。70年代へとつづく、「解放」の時代、刺し子などの日本の伝統的な服飾技法を取り入れながら、自由に、軽やかに、時代をつくっていきます。「身体」との関係において成り立つ「衣服」の追求が、その当然の帰結として「ボディ」シリーズに行き着いたのでしょう。
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 80・90年代以降、新たな技法を取り入れ、それが「プリーツ」のシリーズとなったとき、かれの視線は、ひだを作って布をまとう、という、根源的な衣服のあり方と出会うわけです。元来洋服は、からだの形に合わせて裁断した布を、縫い合わせて仕上げていく、いわば、「からだの三次元的再現」に重点を置かれています。しかし、ギリシア・ローマの彫刻を見れば分かるとおり、古代では布を切らず、まとって、留めていたのでした。プリーツという、ひだを形成した布によって仕上げられた、まとわれる服はまた、裁断や縫製を極力減らした製品になっています。折りたためば小さくまとまり、身に着ければ、自在な曲線を持った、衣服になる。
 衣服のミニマリズムとでもいいましょうか。かれが目指すファッションには、シンプルであるゆえの豊かさが感じられるのです。一枚の薄い布。幾何学的に折りたたまれたそれが、ひとたび広げられて、人の身に寄り添えば、三次元的に展開し、しっかりとしたフォルムを持つ。複雑さを排し、いたってシンプルに作られた一枚の布が、同時に立体として、力強く主張するのをみると、そこにシンプルさに秘められた、高度な思想が読み取れるとおもうのです。
by seibi-seibi | 2016-05-17 19:48 | デザインするって? | Comments(0)

マリメッコとフィンランドデザイン

先日、このブログで紹介しました、島塚絵里さんの個展を見てきました。
フィンランドで製作された、やわらかく、やさしい色合いのテキスタイルが、
樹木のように配置され、テキスタイルの森といったおもむきの展示を愉しませていただきました。
日本企業にもデザインを提供しているそうで、日本でも島塚さんのデザインが入手可能になるそうです。
また、島塚さんの翻訳されたマリメッコ関係の本や、島塚さんの筆になる、フィンランドデザインについての本も並べられ、多彩な活躍が感じられました。そのなかには、セイビの本棚に並ぶ、マリメッコの本もありました。それが島塚さんの翻訳だったとは露知らず、失礼しました。
ご自身もデザイナーとして製作している島塚さんの著作には、説得力があります。
これから、マリメッコやフィンランドデザインを調べたい方は、島塚さんの著作をお読みになるとよいと思います。
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by seibi-seibi | 2015-10-24 20:04 | デザインするって? | Comments(0)