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三宅一生展におもう

『複雑にするのは簡単だが、シンプルにまとめるのはむつかしい。
複雑にするには、色とか、形とか、動きとか、飾りとか、人とか、ものにあふれた環境、お好みのものを、どんどん加えていけばいい。
複雑にするのは、誰にでもできる。でも、シンプルにまとめることができる人は、ごくわずかしかいない』ブルーノ・ムナーリ
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MIYAKE ISSEI展に行って、まず浮かんだのはこの言葉でした。
「着飾ること」を目的とした分野であるファッション。それは宿命的に装飾的要素を持っています。「着飾る」という行為のなかには、多分に過剰な装飾への欲求が見え隠れします。美しくみせたい、綺麗でありたいとねがう人々にとって、その誘惑と無縁な人はいないのです。けれども、「衣服」は本来、身にまとい、からだを保護し、暖かさを保つ必需品として発達してきました。身分や階級を示すしるしとして、あるいはファッションとしての衣服の機能は、その上に立って成立してきたのではないでしょうか。
 60年代から活躍した、かれの作品ははじめ、オートクチュール( haute couture)からはじまり、プレタポルテ(prêt-à-porter)へと向かいます。70年代へとつづく、「解放」の時代、刺し子などの日本の伝統的な服飾技法を取り入れながら、自由に、軽やかに、時代をつくっていきます。「身体」との関係において成り立つ「衣服」の追求が、その当然の帰結として「ボディ」シリーズに行き着いたのでしょう。
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 80・90年代以降、新たな技法を取り入れ、それが「プリーツ」のシリーズとなったとき、かれの視線は、ひだを作って布をまとう、という、根源的な衣服のあり方と出会うわけです。元来洋服は、からだの形に合わせて裁断した布を、縫い合わせて仕上げていく、いわば、「からだの三次元的再現」に重点を置かれています。しかし、ギリシア・ローマの彫刻を見れば分かるとおり、古代では布を切らず、まとって、留めていたのでした。プリーツという、ひだを形成した布によって仕上げられた、まとわれる服はまた、裁断や縫製を極力減らした製品になっています。折りたためば小さくまとまり、身に着ければ、自在な曲線を持った、衣服になる。
 衣服のミニマリズムとでもいいましょうか。かれが目指すファッションには、シンプルであるゆえの豊かさが感じられるのです。一枚の薄い布。幾何学的に折りたたまれたそれが、ひとたび広げられて、人の身に寄り添えば、三次元的に展開し、しっかりとしたフォルムを持つ。複雑さを排し、いたってシンプルに作られた一枚の布が、同時に立体として、力強く主張するのをみると、そこにシンプルさに秘められた、高度な思想が読み取れるとおもうのです。
by seibi-seibi | 2016-05-17 19:48 | デザインするって?


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