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扉の向こうに

今週は春の足音も聞こえてきそうな暖かさにめぐまれて、草花も芽吹きはじめているようです。
春はまた、美術展の季節でもあります。
というわけで、少し美術展の紹介などを。

フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展
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レンブラント、フェルメールに代表される、17世紀オランダ絵画の展示です。
肖像画や風景画、そして「日々の生活を切り取ったような」作品。
17世紀といえば、オランダがその支配をアジアにまで伸ばし、VOC オランダ東インド会社を通じて世界の富を集めていた時代です。富が豊かになれば、美術や建築が隆盛してくるのは、世の東西を問わず、当時のオランダでも、裕福な人々が依頼して、風景画などを描かせたというわけです。
その中でもフェルメールに代表される、室内を描いた作品の多くが、今回の展示の目玉でしょうか。
その「室内画」のおおくは、なにかしている人物、そして光の差し込む室内という、かなり定型化された表現がおおいようです。このような絵画じたい、当時の流行であったのでしょう。描かれたのは依頼主かその家族だったのかもしれません。
今回展示されている「室内画」を良く見ていると、類似した表現にであいます。
それは、人物の背景にある、開け放たれた扉です。扉の向こうに見えるのは、隣部屋です。その部屋にはだれもおらず、ただ壁面やら調度品が描かれています。その部屋の扉もまた、多くの作品では開いていて、一つ奥の部屋がみえるのです。
おそらく開き放たれた扉は、絵に奥行きを持たせ、同時に構図に変化を与えるために、画家がかんがえた企みなのだろう、と考えられます。開いた扉のむこうの、一つ奥の空間が見えることで、絵画に奥行きをあたえられ、ともすれば閉塞的になりやすい室内を、開放しているのだとかんがえられます。
しかし、扉の向こうには、誰の気配もないのです。人も人影も描かれていない。それは、リアリズムからすれば甚だ奇妙な静的な空間。それが背景に広がっています。本来あるだろう日常の騒がしい営みや、生活の実際は、どの「室内画」からもかんじられず、むしろ排除されているかのようです。椅子に腰掛け、あるいは書き物をしている人物からも、喧騒よりも落ち着いた、音のない世界を感じさせるのです。
そうかんがえてみると、このような絵画が、必ずしも生活を描写しようとしたのではなく、人物を一つの静物のように捕らえ、再構成した、きわめて作為的な絵画のように見えてくるのです。
扉の向こう、陽が差し込んだ室内も、その静物としての人物を、引き立たせ、時間さえ拭い去ってしまったような、不思議な静けさをつくりだす、空間的、構成的な手立てのようにも感じられるのです。
それはほかの風景画にもいえることで、そこにはリアルな音がないのです。
「無音の静けさ」は、当時のオランダのなにかを反映したものなのか。
さまざまな感慨を抱かせる展示です。
by seibi-seibi | 2016-03-17 15:01 | 人と絵と、イメージ


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