EXPO 70 シンボルマークの描き方

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亀倉雄策氏の展示にて、久しぶりに大阪万博のシンボルマークに再開して、すこし往時のことを思い出しました。
 1970年。その前年の7月、アポロ計画のクライマックス、月面着陸が達成され、時代はまさに躍進のときを迎えていました。人類の未来は輝きを放ち希望に満ちたものとして見えていた時代です。70年になり、「今年は万博だ!」という声があちこちから聞こえてきたのは初春のことだったと思います。そのころ私は小学生で、父は小さな広告代理店を営んでおりました。父の仕事の関係で、広告媒体を作る現場の近くにいることが多かったので、万博は「お祭り」なだけではなく、「仕事」でもあったのです。
 そんなある日、一枚の青焼きが送られてきました。それは大高猛氏による、大阪万博のシンボルマークでした。おそらくは、万博協会から送られてきたものだったろうと思います。そこには、シンボルマークのデザインとその図面が、事細かに描かれていました。桜の花びらをイメージし、五大陸が広がり、かつ調和する、その中心に日本がある、という、シンボルマークとして申し分ないコンセプトに裏付けられたデザインは、なによりも美しく、シャープに見えたものです。
 この青刷りをもとにして、さまざまなスポンサーの広告に、このシンボルマークが描きこまれることとなりました。当時は、満足なコピー機も、ましてコンピュータもなかった時代。拡大縮小、転写まですべてコンパスによる手書きでした。新聞や雑誌といった小さい広告は、手持ちのコンパスで起こして、烏口コンパスを用いて縁取りして、ポスカラで平塗りして仕上げました。横に添えられる、EXPO70 大阪万国博覧会は、写植を張り込むか、レンダリングで描きます。小さいものはこれで事足りるので、数時間くらいで行ったものでしたが、おおきな看板となるとそうはいかない。まず差し渡し3メーターくらいになる、手製の大型コンパスを作り、それで拡大したものをベニヤ板に描き、切り抜き、万博テンプレートを作るのです。電動糸ノコでいくつかの縮尺版を製作したのを覚えています。
 あとはこれを看板の上に固定してなぞり、マスキングしてから塗料を塗る。特に注意しなくてはならなかったのが、桜の花びらの内接した円の部分。ここは面相で仕上げていきます。いまでは考えられませんが、すべてが手作業で仕上げられていきました。しかし、どこでもそんな具合でしたから、面倒だと感じたことはなかったと思います。
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 このシンボルマークを塗ったり、マスキングしたりするのに私も手伝わされたのですが、とにかく、コンパス一個あれば、シンボルマークが描けてしまうことに驚いたものです。まず外周となる大きな正円を一つ描き、その中に五角形を配置する。正円と五角形の接点に内接する円を五個描く。中心に小さな正円を描き、子の円と同じ正円で桜の花びらとなる、欠けた部分を描く。大体こんな感じだったかと記憶しています。今にして思えば、オトル・アイヒャーばりの、機能主義的グラフィックデザインに、初めて接したときであったのです。
 私は万博には行けませんでしたが、夏休みの間じゅう、このシンボルマークを描くのを手伝ったように思います。いまとなっては懐かしい少年時代のひとコマですね。大阪万博というと、まず、あの夏の暑さと、青い塗料とシンナーのにおいと、このシンボルマークのことが思い出されるのです。(Y)
by seibi-seibi | 2012-10-22 15:25 | デザインするって? | Comments(0)


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