デザインの潮流 バウハウスとその周辺から


f0234596_16151341.jpg 美術、ことにデザインをこころざし、学んだ人たちにとってこの名前は一種特別な光彩を放っているのではないでしょうか。美大や専門学校のデザイン科に入学して、一度は耳にするのがバウハウスでしょう。バウハウスは、第二次大戦前のドイツにあった、デザイン学校です。ナチによる弾圧によって、1919-1933の14年間という、かなりの短命に終わってしまったバウハウスですが、この学校から発信された近代デザインについてのコンセプトは、およそ世界中の、ほとんどすべてのデザイン教育に影響をあたえましたし、今でもあたえ続けているのです。バウハウスは、それまでさまざまな分野において分化して営まれてきた、生産物をひとつにまとめ、それらにある方向性を与えた学校でした。その考え方を一言で言ってしまえば「合理性」の追求だと考えられます。それまで、ウィリアム・モリスらが目指していたアート アンド クラフト運動とは方向を異にしながら、しかし、そこで培われたものすら呑み込みつつ、ひとつに収斂していったといっていいでしょう。
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 バウハウスの思想、デザインに対する考え方は、当時のドイツ・ワイマールに突如として現れたのではありません。その背景にはアレキサンドロ・ロトチェンコやカシミール・マレーヴィチに代表されるロシア構成主義の勃興や、印象派以降のさまざまな諸派の考え方が影響しています。また美術界の流れとともに、忘れてならないのは、機械化とモータリゼーションによる急激な変化、のちに「大量生産」と呼ばれるようになる生産方式が確立したことがあげられるでしょう。それまで小規模で手工業的な生産により作られていたものも、大規模・大量に生産されうるようになったわけです。あらゆる生産品のデザインも、この生産方法の要請にもとづきプランされはじめます。
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 前回あげた、印刷技術の変化と発達も、そういったことの一因となりました。グラフィックデザインの発達は、広告(チラシ・ポスター・雑誌・書籍)媒体の印刷技術と部数によって大きく左右されます。また印刷スピードが速くなれば、当然、速く、合理的なデザインが優先されます。バスハウスの目指したグラフィックの背景には、そういった世の中の動きがあったのだと思います。
 印刷ではカラーよりモノクロのほうが安価にできます。現在でもそれは同じで、もしモノクロがいやなら、もう一色増やす方法を採用します。一色なのでカラーよりは安く済みます。さてバウハウスが活動していた1920年代は、おそらくはモノクロか一色使用が主流だったと思われます。色のないモノクロでいかに面白く豊かなグラフィックをデザインするか。あるいはモノクロプラス一色で、どこまで黒を有効に用いられるか、そういったコスト対比の制約の中でデザインも行われていたと思われます。しばしばバウハウスに特徴的な、白地を活かしたモノクロのグラフィックや、黒と赤を基調としたグラフィックの多くは、そのような制約を凌駕しようとした結果なのではないかと思います。タイポグラフィと構成の面白さは、現代でも十分通用する革新的なデザインをものにしたバウハウスのデザイン。もうそれだけで憧憬の対象になるのですが、その裏に制約もあったとかんがえると、その手腕にいまさら驚かされるのです。
by seibi-seibi | 2010-09-15 15:45 | デザインするって? | Comments(0)


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