明日で一学期は終了

明日土曜日で、一学期が終わります。
連休明けは、事務等でお昼から6時くらいまで開けています。
申し込み等、必要なばあいは、いらしてください。
通常授業は行っていません。
# by seibi-seibi | 2016-07-15 17:59 | Comments(0)

あと3日

一学期の実技終了まで、あと3日。
最後の追い込み中です。
いままでがんばったぶんは、夏に開花します。
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# by seibi-seibi | 2016-07-13 19:27 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

一学期最終週

長かった一学期も、今週で終了です。14週間なんて、あっという間です。
来週は、夏期講習前のお休み期間です。

さて、デザイン科の最後の課題は両手を描く。
両手を描くのは困難です。
なにせ描いている手も、描かなくてはならないのですから。
描くときは、ポーズを取れませんから、
撮って、記憶して、描く。
記憶を頼りの仕事です。
「写真を撮ればいいんじゃないか」
いやいや、第一は見て描くことからはじめましょう。
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# by seibi-seibi | 2016-07-11 19:27 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

マヌエル・アルバレス・ブラボ展に行く

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現在、世田谷美術館で開催しています「マヌエル・アルバレス・ブラボ展」に行ってきました。
今日は35度を超して、今年初の猛暑日。この展示にふさわしい気温でした。
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ブラボといってもなじみが少ないかと思います。1902に生まれ、2002年、100才で死去した、ブラボ、(メキシコ的にいえば、ドン・ブラボ)は、メキシコ革命と、近代化のすべてを見た写真家といえましょう。メキシコではよく知られた写真家の一人です。独裁の時代に生まれ、なくなったのは二十一世紀。写真家としてのキャリアは75年にも及ぶといいます。ブラボの写真は、かれの「作品」としてより、メキシコの土着の風景や人物を写したものとして、さまざまなメディアに紹介されています。メキシコといえば思い起こされるイメージ形成にも一役かった写真家のようにも感じます。
しかし、今回の展示を見ていると、一つの文化と風土に対するイメージを、ブラボが造りだしたのではない、と感じました。ブラボの写真は、メキシコという場に特有な、ある印象と繋がっていると、わたしは感じるからです。
わたしは、むかし、何度かメキシコを訪ねたことがあります。最初は1979年。わたしは高校二年生でした。LAから飛ぶこと4時間あまりで、わたしはメキシコシティに降り立ちました、しかし、「太陽の国メキシコ」は、観光案内の陽気さとはまったく異なった、無口で、人を寄せつけない、どこかよそよそしい表情をみせました。。この印象の内奥にあるものをオクタビオ・パスの「曇り空」「孤独の迷宮」や、ル・クレジオの「メキシコの夢」をのちに読むうちに、すこし理解したのですが、17才のわたしには、違和感だけが募ったのでした。わたしは、この奇妙な疎外感を感じながら、チャプルテペック公園内の「メキシコ国立人類学博物館」をたずね、アステカやマヤの遺物と向き合いました。
わたしは毎日、公園までの街中を歩き、郊外の住宅地にも向かいました。その小旅行で、いちばん印象に残ったのは、壁なのでした。
粗末な外壁。それは南国らしい激しい色で塗装されたものも多かったのですが、土色や、褐色のままの外壁。それがどこまでも続くのです。
ある壁には、庭先から伸びたブーゲンビリアが這い、ピンクの花を咲かせていました。
その壁の前で物売りをするメスチーソの少女。ビニールの上に広げた果物をまえに、壁に寄りかかり客を待っています。表情の少ない顔。そのおおくは、目深に被った帽子で見えません。
あるいは、荷物をいくつも抱えて歩く親と娘。小学生くらいの娘ははだしです。
東京より大きく拡がった近代都市メキシコシティ。車の行き交う様子はアメリカの田舎と変わりません。しかし、その歩道では、はだしの子や、物乞い、ギャングまがいの少年(ニーニョとはとても形容できません)そういう人々が、壁にもたれている。それがメキシコシティの印象でした。
わたしは、壁を背景にした、壁とともにある人々として、メキシコ人を知ったのです。この感覚はずいぶん時を経たいまでも、変わりません。
ブラボの写真でも、壁を背景にした人やものを写した作品が多いようです。人物と背景の壁。その距離も近いので、奥行きはなく、ある種の圧迫感を感じます。朽ち果てて何度も補修した外壁。室内の粗末な、装飾の少ない壁。あるいは墓場の壁。ブラボは、それを画面の構成要素として取り入れています。また、漆喰を塗り重ね、日にさらされてできたマチエールもまた、画面の重要な素材として取り入れていきます。
わたしがそれらの写真を見るとき、それが優れてメキシコ的な風景だと感じるのです。どこまでも続いていた壁と、照りつける陽光。強く歩道を切り抜く翳。メキシコの景色は、すでに構成的で、どこか抽象的なのです。ブラボは、メキシコ人として、アタリマエの日常を、きわめてメキシコ人らしい感覚で、フィルムに収めたのだと思います。
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わたしにはそれらの写真が、チャプルテペック公園近くにスタジオを構えていた、建築家・ルイス・バラガンの、マゼンタ色の外壁をも想像させるのです。バラカンの建築、特に自邸は、住まい内部に意匠を凝らしていますが、概観は贅沢さを感じさせない、素っ気ない、簡素なつくりをしています。ここにも、ブラボが写真に収めた、メキシコの風景が、つらなって感じられるのです。
また、ブラボもポートレートを撮影しているルフィーノ・タマヨの抽象画も、ブラボの写真の中の壁に通じるマチェールを感じてしまうのです。
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展示゜は、8月いっぱいまで。熱い夏にぴったりの、静けさと翳りを堪能できる写真展です。
# by seibi-seibi | 2016-07-03 16:04 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

モチーフ台

アトリエというところには、いくつもモチーフ台があります。
石膏台、静物用の台、モデルさん用のモデル台。
ここにあげたのは、セイビで一番古い、モチーフ台兼モノ入れ。
発足当時からあったので、40年の長きにわたり、アトリエの隅に置かれてきました。
これは、モノ入れなので、画材とかを収めるのに活躍し、モチーフも載せられ、
さらにはテーブル代わりにも。
いまではこの台の存在に気づく人は少なくて、活躍の機会も減りました。
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むかし、まだこの台が真新しかったころ、あるあだ名がついていました。
だれかが気まぐれで、そう呼び始めたのでしょう。

それは「ひつじの箱」。
わかりますか。
気づきますか。

童話『星の王子さま』にでてくる、あの箱なのです。
砂漠の真ん中に不時着した飛行士である主人公が、
出逢った王子さまから、
「ねえ、ひつじの絵を描いて」と注文されます。
あまりにも状況にそぐわない注文です。
主人公は紙を探して、不器用に、なん枚か描くのですが、
ちっとも気に入ってくれません。
最後にいくつか穴の開いた、箱の絵を描いて、
「ひつじはこのなかにいるよ」と答えます。
すると王子さまは、気に入ってくれる。
王子さまには、箱の中にいる羊が見えるのです。

おとなになると、みんな、ひつじが見えなくなります。
いつのまにか、つまらない事柄や、名誉やお金に気をとられ、
もっとも大切なこと、が見えなくなるのです。

さてモチーフ台のなかにいる、ひつじが、あなたには見えますか?
そして、いまの私にも見えるのでしょうか。
# by seibi-seibi | 2016-06-29 15:22 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

人体デッサン

油絵科での、最も多いモチーフとして、「人体モデル」があります。
現役生にとって、なかなか学ぶ機会も少ないこの課題、モデルが来るときは、絶対出席してほしいのです。
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人体から学ぶことはたくさんあります。
プロポーションや立体感もさることながら、「生身の」「呼吸している」「人間」のリアリティを感じてもらいたいとおもいます。ポーズごとに動いてしまうし、布とかのシワも変化しますが、呼吸で膨らむ胸、瞳の輝き、それは生きているからこそ感じられる、生命の存在感です。気配といってもいいかも。そんなことを感じながら、描いてほしいものです。
# by seibi-seibi | 2016-06-20 17:33 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

油絵科

セイビの油絵科の一学期は、油絵になれるための基礎課題を行っています。現役生はほとんどの場合、高3になってはじめて油彩絵の具に触れる人が多く、とにかくなれることが第一となります。水彩とかアクリルとはまったく異なった、乾かず、ベタベタした絵の具。最初は扱いづらいと感じますが、何回も修正し、描き足していくことで、その深みが感じられるようになります。
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油絵の具は、テンペラ絵の具などに代わる描財として、ルネサンス期あたりから使用されるわけですが、この絵の具の利点は、乾かないこと。乾かないため、製作期間を長く設定でき、画家が納得のいくまで描き続けられる。そして、重ねることにより、重層的で複雑な色彩を得られ、奥行きや、透明感もつくりだせるのです。一学期は慣れることで精一杯でしょうが、あきらめず、じっくりと取り組んでほしいと思います。夏期講習以降は、この基礎力を応用しながら、各自の目指す画風へと展開していくわけです。
# by seibi-seibi | 2016-06-17 12:19 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

今月の一冊 1

f0234596_15335127.jpg戦後70年。焦土と化し、多くの文化財すらも灰燼に帰したところから、日本は再生に向かって歩み続け、いまでは世界に冠たる経済大国。生活必需品・食料品の枯渇など、今は昔。モノがあふれ、物質的には充足した現在、物質の飽和状態といっていい。「断捨離」が流行する背景には、多すぎるモノに囲まれて息苦しくなった人々の、簡素さへの希求が隠れているのでしょう。
ここに紹介する「日本のデザイン」原研哉著では、過剰なモノに侵食された現代を、デザインで超えるための方法をかんがえています。「ほんらい日本人は、シンプルな暮らし方を選択してきている」と、著者は言います。それも応仁の乱以降の、室町時代、足利義政による東山文化の開花によってはじまったのではないか。戦禍ののちに、ある種の達観に到達したひとびとが、簡素な繊細さを旨とする「わび」の世界観を獲得していく。その過程で、数百年後にバウハウスのデザイン教育において発信されたような、合理性に根ざした美意識に目覚めていく。複雑さより単純なものを愛で、密度よりもむしろ余白に目を向ける。大きなモノや煩雑な製品の代わりをなす、小さく、繊細な必需品。単純なものに美しさを仮託し、翳りの中にこそ光をみいだす。日本の伝統文化に根ざした、このようなものの捕らえ方こそ、物質過剰時代に必要な考え方なのではないか。
デザインが、社会に新たな「価値観」を提示する装置であるとするなら、「簡素・繊細・丁寧」といった、日本の得意とする術を見直して、現在の混沌とした物質社会の行く先を、シンプルで、生活に潤いを与えるような、そういう生き方の選択へと向かわせられるのではないか。著者はそうかんがえています。倦むことなく生産性を追及し、なんでも「ある」ことによる不満足から、必要なもの以外「ない」ことによる満足へ。デザインが見つめる未来は、「ない」ことをめぐるイマジネーションへとシフトしているのかもしれません。
原研哉氏は現在武蔵野美術大学で教鞭をとっておられます。これからデザインを志そうとする若者に、一度は触れていただきたい書物です。
# by seibi-seibi | 2016-06-13 15:32 | Comments(0)

ムサビ オープンキャンパス

ムサビのオープンキャンパスに行きましたか。
受験するに当たって、各大学を見ておくのは、とてもたいせつです。
だいいち、どこにあって、どんな配置に建物があるのか。
自分の学科のアトリエがどこにあるのか、
それくらいは覚えておいてほしいのです。
というのも、実技試験で、アトリエの規模とか、位置とかを知るというのは
焦ることはあっても、得はありませんから。
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また、現場の雰囲気とか、知ってもらいたいためもあります。
そのキャンパスで、活躍できる自分を思い描くのも一興です。
# by seibi-seibi | 2016-06-13 14:29 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

ムサビオープンキャンパス

6/11と6/12は、ムサビのオープンキャンパスです。
受験生は、言うに及ばず、高2生も、自分の専攻としたい、学科の内容を良く見てきてください。
「有名な学科だから」という、なんとなく、な志望の人が多いようですので、
現場を見て、本当に自分のやりたいことなのか、じっくり確かめてみてください。
入学してから、現場で、アトリエで実習するのは、自分なのです。
もし、あってなかったとか、あとで後悔しないためにも、つぶさに見学してきてください。
# by seibi-seibi | 2016-06-11 12:47 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

ただいま奮闘中

一学期もあと6週間、ここから夏までが、最初のヤマです。
この2ヶ月弱で、基本を理解していきます。
とはいえ、現役ばかりですから、ほとんどの課題がはじめてとなります。
ですから、かならずしも「上手」には仕上がらないでしょう。
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しかし、一つずつの課題が、後々必要な基本要素をふくんでいます。
おろそかにせず、しっかりと取り組んでいきましょう。
# by seibi-seibi | 2016-06-07 19:13 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

デッサン

一学期も半ばを過ぎました。
現役生は、この時期にデッサン力の基礎固めをしています。
デッサンは、観察する、見る、描く、この繰り返しなので
一朝一夕で、急によくなることはありません。
結局、毎日少しずつの鍛錬しかないようです。
描けないとき、それは結果が出ていないときで、とてもつらい。
しかし、絵には見えないのですが、アタマと心のなかでは
上達の種がまかれ、発酵している最中なのです。
それは見えないし、感じることも少ないので、不安を持つでしょう。
しかし、焦りは禁物。
じっくり、落ち着いて取り組んでいると、数ヵ月後には、
はっきり結果となって現れます。

また、デッサンは、各々の見方、考え方を反映するものです。
自分の姿勢が、そのまま現れもします。
そういう意味では、己と向き合う機会ともなります。
何ごとにも頼らず、自分で描くという姿勢で臨んでほしいものです。

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# by seibi-seibi | 2016-06-03 12:55 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

2016 夏期講習募集開始

6月になりました。
本日より夏期講習の募集を開始します。
今年は7/25から8/27までとなります。
夏休みを有効に使い、スキルアップできるコースとなります。

簡単な要項をアップしましたので、ご覧になってください。

夏期講習の申し込みを6月中にすれば、入会金は免除となります。
また、夏期講習後に、二学期から入学の場合、入学金は免除です
# by seibi-seibi | 2016-06-01 13:08 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

三宅一生展におもう

『複雑にするのは簡単だが、シンプルにまとめるのはむつかしい。
複雑にするには、色とか、形とか、動きとか、飾りとか、人とか、ものにあふれた環境、お好みのものを、どんどん加えていけばいい。
複雑にするのは、誰にでもできる。でも、シンプルにまとめることができる人は、ごくわずかしかいない』ブルーノ・ムナーリ
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MIYAKE ISSEI展に行って、まず浮かんだのはこの言葉でした。
「着飾ること」を目的とした分野であるファッション。それは宿命的に装飾的要素を持っています。「着飾る」という行為のなかには、多分に過剰な装飾への欲求が見え隠れします。美しくみせたい、綺麗でありたいとねがう人々にとって、その誘惑と無縁な人はいないのです。けれども、「衣服」は本来、身にまとい、からだを保護し、暖かさを保つ必需品として発達してきました。身分や階級を示すしるしとして、あるいはファッションとしての衣服の機能は、その上に立って成立してきたのではないでしょうか。
 60年代から活躍した、かれの作品ははじめ、オートクチュール( haute couture)からはじまり、プレタポルテ(prêt-à-porter)へと向かいます。70年代へとつづく、「解放」の時代、刺し子などの日本の伝統的な服飾技法を取り入れながら、自由に、軽やかに、時代をつくっていきます。「身体」との関係において成り立つ「衣服」の追求が、その当然の帰結として「ボディ」シリーズに行き着いたのでしょう。
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 80・90年代以降、新たな技法を取り入れ、それが「プリーツ」のシリーズとなったとき、かれの視線は、ひだを作って布をまとう、という、根源的な衣服のあり方と出会うわけです。元来洋服は、からだの形に合わせて裁断した布を、縫い合わせて仕上げていく、いわば、「からだの三次元的再現」に重点を置かれています。しかし、ギリシア・ローマの彫刻を見れば分かるとおり、古代では布を切らず、まとって、留めていたのでした。プリーツという、ひだを形成した布によって仕上げられた、まとわれる服はまた、裁断や縫製を極力減らした製品になっています。折りたためば小さくまとまり、身に着ければ、自在な曲線を持った、衣服になる。
 衣服のミニマリズムとでもいいましょうか。かれが目指すファッションには、シンプルであるゆえの豊かさが感じられるのです。一枚の薄い布。幾何学的に折りたたまれたそれが、ひとたび広げられて、人の身に寄り添えば、三次元的に展開し、しっかりとしたフォルムを持つ。複雑さを排し、いたってシンプルに作られた一枚の布が、同時に立体として、力強く主張するのをみると、そこにシンプルさに秘められた、高度な思想が読み取れるとおもうのです。
# by seibi-seibi | 2016-05-17 19:48 | デザインするって? | Comments(0)

講評

受験コースでは、各課題が終わり次第、講評をおこないます。
作品を並べて、比較しながら、いいところ、悪いところを考えていきます。
人の作品と並べられ「比べられる」ことに若干の抵抗感を持つ人もいます。
しかし、恥ずかしくおもったり、ましてや不安になる必要はありません。
上手い下手、判断するのが講評の目的ではありません。
人の描き方や見方を参考にしたり、比較することで分かること、を見つける、発見する。
講評とはそういう場です。
人のを見て、凹んだりしている人がいるとしたら、それは大きな勘違いです。
また、講評時には、メモを取るように心がけましょう。
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# by seibi-seibi | 2016-04-26 19:46 | 芸大 美大受験 | Comments(0)