今月の一冊 パウル・クレー 「造形思考」

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「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである」
「創造についての心情告白」という小論の冒頭において、パウル・クレーはこのように書いています。
 見えるようにすること、とはどういうことなのでしょうか。
 これを言い換えるのなら、ただ、現実をそのままなぞって、再現したとしても、そこに本質的なものは見えず、それを見えるようにするのが、芸術家の役割だ、ということでしょうか。
 今回紹介するのは、パウル・クレーが、バウハウス、ワイマールとデッサウにおいて、マイスターとして生徒たちに教えた記録をあつめた、「造形思考 上 下」です。この著作は長いこと絶版となっていましたが、今年、ちくま学芸文庫に再収録されました。
 この書物の特質すべき点は、一人の画家の絵画に対する考え方が、体系的にまとめめ上げられている点でしょう。ここに集められた文章は、バウハウスでの講義のためにまとめられた、クレーの講義用ノートであり、同時に、クレー自身の思考の軌跡です。じっさいに作品を作り出している、画家自身の手になるこのノートは、ただの理論に終始するのではなく、実践と試行錯誤の末にたどり着いたであろう、抽象についての理論であふれています。その文章の端々から、創造者にしか書き得ない、造形への確信が感じ取れます。
 もともと音楽家であったクレーが、もっとも大切にするキーワードは、「静的と動的」であり、「リズムとポリフォニー」なのは当然なのでしょう。クレーは抽象化にあたって、それが単に数学的、幾何的なものだけに還元されるのではなく、イメージを解き放つ、根源的要素を内在した、自律的な、動き、拡散していく、一種ののパッションを秘めたものとして理解していたようです。
 画家が描いていくとき、それはつねにイメージを生成させ、そのイメージを追いかけ、追い越し、つなぎとめる、そして絵画として定着していく、そういった、イメージの発生と発展の現場に立ち会うことです。イメージはつねに、動き続けます。動かなくなったイメージとは、創造の終焉であり、死です。立ち現れ、広がっていくイメージのなかで、画家は模索し、捜し求めていくのです。その探求の過程において絵画は生まれる。芸術がもつこのような神秘の、もっと根源において作用するのが、イメージの力です。
 抽象的な要素を強く押し出すことにより、パウル・クレーは、いっそうイメージの原野へと、思考を進めていきます。さまざまなイメージが生成し、発生し、変化し続けていく。それは完成した絵画の中でも生成し続け再生産される、ということを、クレーは体系的にまとめ上げていきます。しかし、クレーの文章には、理論だけで終わらない、生き生きとした、イメージへの、ほとんど音楽家のようなまなざしが常にあって、そのことが、この書物の、もっとも魅力的なところかもしれません。
 芸術を志す、イメージを追及していこうとする若い人たちにこそ、一度は手に取っていただきたい、そういう書物です。
# by seibi-seibi | 2016-08-11 16:58 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

「クエイ兄弟 ファントム ミュージアム」展に行く

 昨日は37度超えの「激暑」だったようですが、そんななか、鎌倉近代美術館葉山館で開催されている、「クエイ兄弟 ファントム ミュージアム」展に行ってきました。

 ストップモーションアニメの領域でカルト的な人気を誇る、クエイ兄弟。一卵性双子の兄弟であるかれらは、アメリカに生まれ、1980年代以降、アニメ作品を発表します。イラストやグラフィックデザインの仕事もこなしていたかれらが、アニメーション製作に移行したのは、ロンドンのカレッジ・オブ・アートに移籍し、イギリス映画協会(BFI)の、キース・グリフィスによるバックアップを受け始めてからです。

 1986年、最初のアニメーション作品「ストリート・オブ・クロコダイル」によって、名声を確立したかれらは、以降、数多くのアニメーション作品を作り続けます。最初期は16MM フィルムで、のちに35MMになり、90年代には354MMシネスコに進化します。2000年代からはデジタルに移行し、さらに表現の幅が広がったといっていいでしょう。

 クエイ兄弟の作品は、彼らが紡ぎだす、魔術的で、不合理、幻術的でときにグロテスクな、それはかれら自身にしか、道しるべをつくれないたぐいの、迷宮へといざないます。それを言説化するのはむつかしく、かれらのイマジネーションを理解するには、ただ、作品を見てもらうしかないとおもいます。

 今回の展示では、アニメーションのために成功に作られた、箱庭のような、セットが展示されています。それはまさに、かれらの心の世界のミニチュアであり、その完結した幻想世界、いいかえれば、どこにもない場所の具現化にほかなりません。

 ふたりの心の中にある、イマジネーションを、ひとつの形あるものとして現出させる、イメージにかたちを与える、その過程が、仔細にわたってみわたせる展示となっています。
 一貫してゆるぎない作風。幻想的である以上に、どこか強迫的な世界構築。かれらが敬愛するアルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルの作品を引用するまでもなく、彼らの世界はシュールレアリズムと幸福な結婚をしているのであり、ここではない別の場所、どこにもない場所のありかを、見るものに示してくれています。

 アニメーション製作に興味がある方にとって、この展示は宝の山でしょうし、ただかれらの世界を見続けたいひとにとっては、世界の向こうへといざなう、素敵な展示だといえましょう。


# by seibi-seibi | 2016-08-10 13:45 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

夏期講習前期終了しました

夏期講習の前半、本日終了しました。
来週のセイビはお休みです。
後半は8/15から開始します。

ついに盛夏の酷暑がやってきたようです。
来週は、前半の疲れを取り、
後半への体力を維持しておいてください。
# by seibi-seibi | 2016-08-06 19:08 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

夏の発見

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現役生がほとんどのセイビ受験科にとって、夏期講習はもっとも大切な時期となります。
一日三時間、夜間のみで実技をこなしてきた現役生にとって、六時間を通しで描くのは、それ自体、新しい経験であるのです。一日中集中して描いていると、見落としていたことや、いままでおろそかにしていた部分などが、あらわになってきます。そういう、普段は見えていないことにも、真っ向ら向き合う機会が、夏期講習では、できるのです。
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 問題点の発見はまた、痛みをともないます。自分の出来ないところと、真摯に向き合う気持ち、気構えができていないと、ど゛うしても目をそらしてしまいます。不得意な部分、問題点が理解できたら、どのようにそれを解消するのか、乗り越えるのか。当然、尻込みせず、果敢に挑んでいく気持ちが必要になります。各自の弱さが露呈してきますし、精神力なくしては、なにごとも成しえない、という厳然たる事実を知ることになります。
 受験で唯一良いところは、自分の弱さを知り、認め、乗り越える精神力を養える点なのではないでしょうか。思っていたよりうまくはできず、自分の卑小さ、弱さに気づくこと。またそれを、等身大の自分として認めていくこと。その上に立ってこそ、はじめて一歩を踏み出せるのだということ。受験はそんな、人生で大切で必要なことを教えてくれる契機ともなるのです。
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 夏期講習も二週間目に入り、もうすぐ折り返しとなります。ここからが、各自試される時期かもしれません。試練を受け止めて、それを耕し、次のステップに進めるよう、あと数週間を乗り越えていきましょう。そのむこうには、あたらしい、少し大きく、強くなった自分が、きっと待っているのですから。
# by seibi-seibi | 2016-08-03 17:48 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

夏期講習二週目

夏期講習も二週目になりました。
一日6時間描き続けるのにも慣れてきたようです。
しかしまだ、時間配分は上手とは言えず、
ぎりぎりになって、気づくようです。

しかし、そういうことを繰り返しながら、分かってくることもあります。
何事も忍耐と時間。
もう一歩進みましょう。
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# by seibi-seibi | 2016-08-02 18:07 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

声ノマ 全身詩人 吉増剛造展にいく

 今週末まで開催されている「声のノマ 全身詩人 吉増剛造展」をみてきました。
国立近代美術館としては、初の、詩人の企画展です。日本の美術館でも、このような展示が行えるようになったことに、驚きと喜びをかんじています。
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 吉増剛造は、現代日本を代表する詩人の一人で、その難解さでも知られています。詩というメディアが、本来、きわめて個人的な作業からはじまって、その思索の道のりも、個人的なものであり、そのような性格から、詩人という創造者は、社会からも人からも一定の距離をとって、佇むような立ち居地にあります。「難解さ」とは、詩人・詩ということばじたいが、社会で用いている、言葉・言語のコードから離れているところからきます。
 しかし、難解という先入観をはずして、詩の創作の現場と向き合えば、そこにはヒューモアであったり、言葉と戯れる快楽すらも感じられるのではないでしょうか。
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 今回の展示は、詩人 吉増剛造のこころの襞の隘路に、見るものを導いてくれる、とても興味深い展示になっていました。吉増剛造が書き記した、日記や、それは、公開を前提としない、個人的な言葉の発露であったり、覚書であったりするのですが、ひとりの、生きている人・詩人・人間の息づかいが伝わってきます。時系列で並べられた日記には、詩人・吉増剛造の反復し、反芻している思考と思索が、表れ、それは、ノートの使い方や、文字の乱れの中にこそ一層、現れてきます。テクストが語るというべきでしょうか。
 また、多重露光を、意識的に利用した写真を撮り続けた吉増剛造の、世界のさまざまな地域、場、を交差させる、写真が展示されています。一見何の脈絡もない(それはつまり見ているわれわれにとってはなのですが)、二つ以上の世界が、一枚の印画紙の上に定着するとき、世界のあやふやさも感じ取れますし、いくつもの現実と、世界を平行し、重ね合わせて、思索し続ける、人間本来の、多層的、多角的な重層思考を、写真からも感じられます。
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 震災以降の作品として結実した「怪物君」の原稿は、そうした詩人・吉増剛造の、詩人意識の現われを見ているようで、強い衝撃を感じさせずにはおきません。テクストは、びっしりとかれた言葉・コラージュされ、書きなおされ、消され、重ねられた文字と、絵によって、一条の長大な巻物のようになっています。時間の軸もその長さには、とうぜん内包されているでしょうし、吉増剛造の思索の時間、そのものが、姿を現してきます。
 声・おと・沈黙。そういった言葉の持つ、起源にまで、思索は遡っていきます。発話すること、それは空気を息で震わせること。無音の中に、音の波をつくりだすこと。ことばは音であり、音にはさまざまな表情が当然あって、そういう音としてのことば、それは詩の誕生する場でもあるのでしょうが、そこにまで遡及して、分解してかんがえていく。詩人・吉増剛造の、日常は、つねに、ことばの向こうにあるなにか、ことば以前のなにか、詩の発生の瞬間の、その一瞬の閃きに立ち会おうとしているように思えます。
 展示はすべて、暗く、照明を落とした空間をいくつかに仕切って、そこをめぐるようになっています。ひとりの詩人の、ことばをつむぐ思索の、その内奥へ、詩人の記憶の内側へと、向かっていく、そんな感じの展示になっています。もう一週間を切ってしまいましたが、時間のある方はぜひ、見てください。
# by seibi-seibi | 2016-08-01 13:45 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

2016夏期講習始まりました

さて、夏期講習です。
ここから8/27まで、熱く長い夏の始まりです。
時間も朝から晩までになるので、無理のないよう
余力を残しながら続けてしいと思います。
一生懸命すぎて、あとで倒れたりしないように。

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# by seibi-seibi | 2016-07-25 13:46 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

来週から、夏期講習

まだ梅雨が明けれない東京ですが、
7/25より、夏期講習を開始します。
夏期講習中の、開所時間はおおむね8時です。
実技開始までの一時間、準備と段取り、を
怠りなく確実に行ってください。
また、夏期講習中は、酷暑が予想されるので、
水分補給と健康維持を心がけてください。

夕方、5時~7時までは、学科です。
これも連日となるので、無理のないよう、
予習復習を心がけてください。
学科も実技と同様に重要です。

では、来週から、がんばりましょう。
# by seibi-seibi | 2016-07-23 12:48 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

タマビオープンキャンパス

2016 タマビ オープンキャンパスに行きました。
何人かの、セイビ卒業生とも出くわし、うれしいかぎりでした。
版画研究室では、現在4年の、斉藤ももさんが、リトグラフの実習を行っていました。
彼女は、セイビ時代から、線も綺麗で、繊細で緻密な描写が得意でした。
それで、版画を選んで入学しましたが、正解だったようです。
けっきょく、その人がなにに向いていて、どんなことをしたいかで、
進路を決定したほうが◎ですね。
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彼女のリトグラフ作品を出してもらい、解説してもらいました。
なんと、木板によるリトグラフなんだそうで、
タマビ版画で、開発したようです。

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プロダクトデザイン専攻では、セイビ卒業生、尾木康之さんによる、
卒業生による講演が行われました。
2013年にプロダクトデザインを卒業し、現在、㈱アシックスで、
競技用シューズのデザインをを行っている彼は、
セイビ時代から、すでに、シューズデザイナーになるという
夢を語っていました。
いまその夢を実現し、リオオリンピックの選手シューズや東京オリンピックにも
デザイナーとして参加するようです。
次の一歩はMBA選手のシューズだとか。
また、やはりプロダクトデザイン卒、現在やはり、シューズデザイナーの
黒澤さんにも思いがけず再会しました。
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講演が終了したのち、尾木さん、黒澤さんと、
プロダクトデザイン志望のセイビ生と、質疑応答をしました。
大学がどんな感じなのか、社会でデザイナーになるとはどういうことなのか、
すこしでも、吸収できればよかったとおもいます。
尾木さんいわく、
自分の夢を実現するには、
まず動くこと、行動すること、
そして、
なりたい自己像を妄想し、
思い描くことだと。
尾木さん、黒澤さん、ありがとうございました。
またセイビにも来てもらい、
いろいろと話ををしていただこうとおもいます。
# by seibi-seibi | 2016-07-20 10:04 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

一学期終了しました

本日7/16で2016年度一学期は終了いたしました。
来週、7/19-23のあいだは、事務手続き等のみ受け付けます。
授業はお休みになります。
開所時間は12時から6時くらいまでとなります。
夏期講習の申し込み、道具等を取りにくる方は、
その時間にいらしてください。
# by seibi-seibi | 2016-07-16 16:24 | Comments(0)

明日で一学期は終了

明日土曜日で、一学期が終わります。
連休明けは、事務等でお昼から6時くらいまで開けています。
申し込み等、必要なばあいは、いらしてください。
通常授業は行っていません。
# by seibi-seibi | 2016-07-15 17:59 | Comments(0)

あと3日

一学期の実技終了まで、あと3日。
最後の追い込み中です。
いままでがんばったぶんは、夏に開花します。
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# by seibi-seibi | 2016-07-13 19:27 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

一学期最終週

長かった一学期も、今週で終了です。14週間なんて、あっという間です。
来週は、夏期講習前のお休み期間です。

さて、デザイン科の最後の課題は両手を描く。
両手を描くのは困難です。
なにせ描いている手も、描かなくてはならないのですから。
描くときは、ポーズを取れませんから、
撮って、記憶して、描く。
記憶を頼りの仕事です。
「写真を撮ればいいんじゃないか」
いやいや、第一は見て描くことからはじめましょう。
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# by seibi-seibi | 2016-07-11 19:27 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

マヌエル・アルバレス・ブラボ展に行く

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現在、世田谷美術館で開催しています「マヌエル・アルバレス・ブラボ展」に行ってきました。
今日は35度を超して、今年初の猛暑日。この展示にふさわしい気温でした。
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ブラボといってもなじみが少ないかと思います。1902に生まれ、2002年、100才で死去した、ブラボ、(メキシコ的にいえば、ドン・ブラボ)は、メキシコ革命と、近代化のすべてを見た写真家といえましょう。メキシコではよく知られた写真家の一人です。独裁の時代に生まれ、なくなったのは二十一世紀。写真家としてのキャリアは75年にも及ぶといいます。ブラボの写真は、かれの「作品」としてより、メキシコの土着の風景や人物を写したものとして、さまざまなメディアに紹介されています。メキシコといえば思い起こされるイメージ形成にも一役かった写真家のようにも感じます。
しかし、今回の展示を見ていると、一つの文化と風土に対するイメージを、ブラボが造りだしたのではない、と感じました。ブラボの写真は、メキシコという場に特有な、ある印象と繋がっていると、わたしは感じるからです。
わたしは、むかし、何度かメキシコを訪ねたことがあります。最初は1979年。わたしは高校二年生でした。LAから飛ぶこと4時間あまりで、わたしはメキシコシティに降り立ちました、しかし、「太陽の国メキシコ」は、観光案内の陽気さとはまったく異なった、無口で、人を寄せつけない、どこかよそよそしい表情をみせました。。この印象の内奥にあるものをオクタビオ・パスの「曇り空」「孤独の迷宮」や、ル・クレジオの「メキシコの夢」をのちに読むうちに、すこし理解したのですが、17才のわたしには、違和感だけが募ったのでした。わたしは、この奇妙な疎外感を感じながら、チャプルテペック公園内の「メキシコ国立人類学博物館」をたずね、アステカやマヤの遺物と向き合いました。
わたしは毎日、公園までの街中を歩き、郊外の住宅地にも向かいました。その小旅行で、いちばん印象に残ったのは、壁なのでした。
粗末な外壁。それは南国らしい激しい色で塗装されたものも多かったのですが、土色や、褐色のままの外壁。それがどこまでも続くのです。
ある壁には、庭先から伸びたブーゲンビリアが這い、ピンクの花を咲かせていました。
その壁の前で物売りをするメスチーソの少女。ビニールの上に広げた果物をまえに、壁に寄りかかり客を待っています。表情の少ない顔。そのおおくは、目深に被った帽子で見えません。
あるいは、荷物をいくつも抱えて歩く親と娘。小学生くらいの娘ははだしです。
東京より大きく拡がった近代都市メキシコシティ。車の行き交う様子はアメリカの田舎と変わりません。しかし、その歩道では、はだしの子や、物乞い、ギャングまがいの少年(ニーニョとはとても形容できません)そういう人々が、壁にもたれている。それがメキシコシティの印象でした。
わたしは、壁を背景にした、壁とともにある人々として、メキシコ人を知ったのです。この感覚はずいぶん時を経たいまでも、変わりません。
ブラボの写真でも、壁を背景にした人やものを写した作品が多いようです。人物と背景の壁。その距離も近いので、奥行きはなく、ある種の圧迫感を感じます。朽ち果てて何度も補修した外壁。室内の粗末な、装飾の少ない壁。あるいは墓場の壁。ブラボは、それを画面の構成要素として取り入れています。また、漆喰を塗り重ね、日にさらされてできたマチエールもまた、画面の重要な素材として取り入れていきます。
わたしがそれらの写真を見るとき、それが優れてメキシコ的な風景だと感じるのです。どこまでも続いていた壁と、照りつける陽光。強く歩道を切り抜く翳。メキシコの景色は、すでに構成的で、どこか抽象的なのです。ブラボは、メキシコ人として、アタリマエの日常を、きわめてメキシコ人らしい感覚で、フィルムに収めたのだと思います。
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わたしにはそれらの写真が、チャプルテペック公園近くにスタジオを構えていた、建築家・ルイス・バラガンの、マゼンタ色の外壁をも想像させるのです。バラカンの建築、特に自邸は、住まい内部に意匠を凝らしていますが、概観は贅沢さを感じさせない、素っ気ない、簡素なつくりをしています。ここにも、ブラボが写真に収めた、メキシコの風景が、つらなって感じられるのです。
また、ブラボもポートレートを撮影しているルフィーノ・タマヨの抽象画も、ブラボの写真の中の壁に通じるマチェールを感じてしまうのです。
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展示゜は、8月いっぱいまで。熱い夏にぴったりの、静けさと翳りを堪能できる写真展です。
# by seibi-seibi | 2016-07-03 16:04 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

モチーフ台

アトリエというところには、いくつもモチーフ台があります。
石膏台、静物用の台、モデルさん用のモデル台。
ここにあげたのは、セイビで一番古い、モチーフ台兼モノ入れ。
発足当時からあったので、40年の長きにわたり、アトリエの隅に置かれてきました。
これは、モノ入れなので、画材とかを収めるのに活躍し、モチーフも載せられ、
さらにはテーブル代わりにも。
いまではこの台の存在に気づく人は少なくて、活躍の機会も減りました。
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むかし、まだこの台が真新しかったころ、あるあだ名がついていました。
だれかが気まぐれで、そう呼び始めたのでしょう。

それは「ひつじの箱」。
わかりますか。
気づきますか。

童話『星の王子さま』にでてくる、あの箱なのです。
砂漠の真ん中に不時着した飛行士である主人公が、
出逢った王子さまから、
「ねえ、ひつじの絵を描いて」と注文されます。
あまりにも状況にそぐわない注文です。
主人公は紙を探して、不器用に、なん枚か描くのですが、
ちっとも気に入ってくれません。
最後にいくつか穴の開いた、箱の絵を描いて、
「ひつじはこのなかにいるよ」と答えます。
すると王子さまは、気に入ってくれる。
王子さまには、箱の中にいる羊が見えるのです。

おとなになると、みんな、ひつじが見えなくなります。
いつのまにか、つまらない事柄や、名誉やお金に気をとられ、
もっとも大切なこと、が見えなくなるのです。

さてモチーフ台のなかにいる、ひつじが、あなたには見えますか?
そして、いまの私にも見えるのでしょうか。
# by seibi-seibi | 2016-06-29 15:22 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)