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冬期講習終了

本日、冬期講習も終わりになります。
明日より1/2まで、セイビはお休みです。
とはいえ、用意や片づけで、事務は動いています。
クリスマスが講習最終日になるのは今回が初めてです。
来年は1/3の9時から直前講習になります。
もうここまできたら、あとは体勢を整えて試験に臨むだけ。
休み中、受験生はくれぐれも学科を休まないように。
では、皆さんに素晴らしいクリスマスが来ますように。
メリー クリスマス!
by seibi-seibi | 2010-12-25 16:43 | Comments(0)

サンタクロースというイメージ

 今日はサンタクロースをめぐって。
 サンタクロースほど知られているキャラクターは少ないのではないでしょうか。(とはいえこれは、キリスト教圏の話。イスラム世界もあることを忘れてはなりません。)サンタといえば聖ニコラウス。モデルとなった聖人です。『貧しく身売りするしかなかった家に、ニコラウスはお金を施すのですが、煙突から投げ入れられたお金が、暖炉に乾してあった靴下のなかに入ってしまい、それを見つけた家のものたちは、身売りを逃れた。』だいたいのこんな感じの話が伝わっているわけです。
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この聖ニコラウスをモデルとしたサンタクロースが今の姿で表現されるようになったのは、19世紀であるらしい。いわゆるコカコーラ社の広告によって今の姿となったという俗説も、今では信憑性がないらしい。サンタクロースのイメージをたどっていくと、たった数百年まえで、すでにその由来が分からなくなるのです。少なくともサンタの用紙や服装が確立するのは、19世紀のアメリカであったようです。とするなら、キリスト教のなかでのサンタクロースのイメージは、思いのほか新しい存在なのでしょう。服装やそりの形も、よくよく見れば、そんなに古くはないと思うのです。もっと古くから同様の容姿で伝わっているならば、何か古めかしいイメージが残されていてもおかしくはないのです。しかし「丸々とした体躯のヒゲの老人」の持つイメージは、やさしさや父性愛をふんだんに盛り込まれるような雰囲気があります。
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 サンタクロースとクリスマスは、さまざまな映画にも取り入れられています。アメリカ映画で考えると『素晴らしき哉(かな)人生』(1946年 RKO)でしょうか。フランク・キャプラ監督の名作であり、映画学科では教科書代わりに観るというこの映画は、アメリカのクリスマスになじみの作品です。この映画のラスト、絶望の淵で自殺を考え、二級天使に見せられた「自分のいなかった場合の世界」によって、生きる意味を知った主人公(ジェームス・スチュアート)が、雪降る街中を「メリークリスマス!」と叫びながら走っていくシーン。これはクリスマスの奇跡の典型例なのです。『クリスマスキャロル』から『ダイハード』まで、クリスマスを題材にした映画にはひとつのパターンがあるようです。それは甦る・生まれ変わる、ということ。絶望・失望から、なんらかの事件を経て、新たな自分に生まれ変わる、そういうパターン。これは、クリスマスが本来もっている「豊饒と再生」のイメージと見事に符合し、つながっているのです。映画という、現代の娯楽のなかにも、連綿として息づいている、クリスマスの精神。私たちは知らず知らずに、クリスマスの精神を伝承しているのです。
 あす12/24になると、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令 ノーラッド)によるサンタクロースの追跡も開始されます。(google mapがインストールされていればサンタの現在位置が分かります)NORADは核ミサイルの監視だけしているのではないのです。現代の先端システムのなかに息づいている、「サンタクロース」。どんなに文明が進もうとも、古くからの伝承はかたちを変えながら残って行くのでしょう。
by seibi-seibi | 2010-12-23 11:47 | Comments(0)

コース別

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 冬期講習もなかばをすぎました。
 各生徒、自分の専攻別の個人カリキュラムに入っています。とくにデザイン科は専攻によって実技試験内容が異なるので大変です。実技試験は、その内容の違いとともに、考え方・アプローチの仕方も、それぞれ異なります。同じような平面構成をやっているようで、その主題やアイディアの出し方に、かなりの違いがあります。これを理解して、念頭に置きながら仕事を進めていかなくてはなりません。そのうえ何か新しいテイスト、something newも盛り込みたいところ。クリアしなくちゃならないことがどんどん増えてきます。それを楽しめるようになれば、これはもう、しめたものです。今週末まで、今できることを、あせらず確実にやっていきましょう。
あしたはサンタの話でも書きますか・・・。
by seibi-seibi | 2010-12-22 13:19 | Comments(0)

冬至とクリスマス

 昨日はキリストの絵についてでした。
 今日はクリスマスについて。

 12/25がクリスマスですが、その前に冬至が到来します。今年は12/22。明日です。冬至は一年で一番日が短くなる日です。(厳密には一致しませんが)日本では柚子湯に入ったりして、からだを温め、無病息災を願う日ですね。この冬至とクリスマスは実は同じ起源に由来していると言ったら、意外に感じられるでしょうか。というのも、四福音書にはキリストの誕生日の記述も(前回同様)ないのです。ではどうして12/25がクリスマスとなったのでしょうか。これはとても面白い話なのです。
 古来から冬至は知られていました。イギリスのストーンヘンジとか、ペルーのナスカの地上絵などにも冬至や夏至を観測した痕跡が残されています。古代において、太陽の運行を知ることは何よりも大切でした。というのは、農作物の種まきや収穫時期を正確に把握したかったからなのです。食糧の安定確保に必要な知識として、太陽の動きと、季節の移り変わりを知る。古代人にとってそれは命をつなぐ、「大切な情報」だったのです。
 一番陽が短くなる冬至。天文学の知識を持たない古代においては、「一番太陽が弱くなる日」と捉えていたようです。もしこのまま弱くなって春が巡ってこなかったら、人々は飢饉にあえぐこととなります。そこで思いついたのが、冬至祭です。冬至の時期に火祭りを行うのです。赤々と燃え立つ火は、むろん、太陽の象徴なのです。この祭りで太陽をあがめ元気づけ、また太陽が暖かさを運んでくれるよう祈るわけです。日本では小正月に行う「どんと焼き」などがそれにあたりますし、現在のフランスやドイツでも同様の火祭りが挙行されています。
 さて、キリスト教が広まる以前のローマ帝国でも、この冬至の祭りは行われていました。ディニッソス祭として知られていた冬至祭は、キリスト教時代となってからも、続けられていました。キリスト教会にとって異教の祭りを容認するわけもなく、何度か中止させようとしたようです。しかし根強い土着の信仰・行事を留められず、のちにこの冬至祭が、キリストの降誕祭、クリスマスになっていったといいます。

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            サンタクロースのモデルとなった、聖ニコラウス

 クリスマスでは、もみの樹のツリーを飾ります。もみの樹は常緑樹で、冬でも青々とした葉をつけている樹です。ここには力強さ=永遠の豊かさ=豊穣のイメージが与えられています。そしてリボンや飾りにしばしば用いられるのは赤いものです。赤は太陽とその暖かさ、そしてなによりも甦りのイメージが付け加わっています。この赤と緑、クリスマスのテーマカラーのようになっていますが、色彩学でかんがえると、「補色」関係になります。小学校で習う「反対色」。補色は強い対比を生む配色関係です。色彩学的な関係、つまり美的観点が優先したのか、はたまた色彩の持つイメージが先立ったのか分かりませんが、結果として色彩学的にも調和し、イメージも伝わる配色となっています。色から考えても調和するうえに、自然の秩序にも連関するイメージを持つ、赤と緑。クリスマスツリーを見たら、ぜひ、この調和のハーモニーのことを思い起こしてください。クリスマスがいっそう楽しめますよ
by seibi-seibi | 2010-12-21 12:23 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

キリストのヒゲ

冬期講習も二週目に入りました。
今週は、今年最後の追い込み週間です。
朝から描くことにも慣れてきて、次第に作品のクオリティも上がってきているようです。みんな不得手なものを何とかしようと、「もう少し描かせてください」という声が聞かれるようになりました。その向上心はほほえましいのですが、バランスよく学科に集中することも忘れないでください。学科ができなくては万事休すですからね。

さて、今週末はクリスマス。というわけで、今週はクリスマスについてのお話をしてみましょう。
とはいっても、絵画についての話です。
まず質問です。キリストというと、どのような顔を思い浮かべますか。
おそらくは、
髪が長くて、ヒゲをたくわえた、やせた人物。
髪はブロンドで白人の顔かたちをしている。
 少なくともヨーロッパで良く見かけるキリスト像のほとんどは、そのようなものだろうと思います。
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           イスタンブール アヤソフィア聖堂のイコン

 しかし、新約聖書(四福音書)には、イエス・キリストの顔について描写した文章はありません。キリストが「人の子として」お生まれになった、との記述はあるのですが、イエスの顔がどのようであったかは記されていないのです。ではどうして、絵画作品のキリスト像にはヒゲのある長髪の人物ばかりなのでしょうか。それを知るためには、キリスト教美術の始原にさかのぼらなければなりません。キリスト教が始まったとき、イエス・キリストは現在のような肖像画のかたちでは描かれず、イエス・キリストを示す象徴として、魚が用いられていました。一般にイクトゥスと呼ばれているこの魚の記号は、西暦313年、時のローマ皇帝、コンスタンティヌス1世がキリスト教を国教とすることを公にしたミラノ勅令が発布されるまで、キリスト者であることを示す文様となっていました。
 キリスト教がローマ帝国の国教として認められ、迫害を受けることなく信仰できるようになって以降、民衆があがめるべき、主 イエス・キリストがどのような顔であったのか描く必要が生じたのだろうと思われます。本来、キリスト教は抽象的・形而上的な信仰であるので、具体的な「救い主の顔」など必要なかったのかもしれません。しかし、民衆を納得させ改宗させるのには、やはり、主のお顔が必要となったのでしょう。
 それはまた、イエスの姿と奇跡の物語を語るための格好の材料ともなったはずです。人の姿になって現れた主の姿は、威厳と威光に満ちていなくてはなりません。そこでヒゲをたくわえ、豊かな髪を持ち、慈悲と慧眼に満ちた視線を投げかける像が登場したのではないかと思います。初期のキリスト像、いわゆるビザンティンイコンのキリスト像はすでに、ヒゲをたくわえた顔をしています。ただ、この最初期のかたちは、はっきりとは分かりません。というのも8-9世紀に行われた、聖像破壊運動、イコノクラスムによって、初期のビザティンイコンは廃棄され失われてしまっているからです。ただ、現在もイスタンブール(旧コンスタンチノポリス)に残るイコン像には、ヒゲがあります。この背景には、当時のシナイ半島の成人男性がヒゲをたくわえていたからなのかもしれません。
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           ピエロ デ ラ フランチェスカ キリストの洗礼(部分)

 ビザンティン美術において定着した、イエス・キリスト像は、ヨーロッパ美術に引き継がれます。長い中世美術の時代をへて、ルネサンスに入る頃には、キリストの髪はブロンドとなり、顔も白人のそれに変わっていきます。アラブ系の人々が多かったエルサレムは、黒髪の人が多かったと思われますが、ヨーロッパ人にとってなじみやすい相貌になって行ったのは、ヨーロッパ絵画のなかででしょう。
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           ラファエロ キリストの変容

 現在でもキリストのイメージは同様のものとして定着しています。それは2000年近くの歳月にわたって、さまざまな画家たちによって少しづつ形作られていったといえます。そこには崇高なもの、絶対的なものについての、画家のイメージが投影されているといえます。有史以来、信仰の対象を造形化していくのは、芸術の大きな目的のひとつでありました。画家は技量のすべてを傾けて、キリストを描いてきたのだろうと思います。そしてそのイメージには、民衆が持っていたイメージも同時に反映されていたのだろうと思います。
by seibi-seibi | 2010-12-20 14:30 | Comments(0)

冬期講習開始しました

今日から冬期講習始まりました。
現役生にとって久しぶりの朝9時からの実技です。
まだ、高校の授業で出られない人も多いのですが、
明日以降次第に増えるでしょう。

美大受験、実際の試験時間は朝9時から10時に始まりますから
午前中に、フル回転できる精神状態を作っていかないと
いくら描ける人でも、合格は遠くなります。
冬期講習は、現役生にとって時間配分と実技模擬問題になれること
そして朝早くから活動できるからだ作りと、
やらなくてはならないことがたくさんあります。
風邪を引かないよう体調管理しながら、
年末まで突っ走りましょう。
by seibi-seibi | 2010-12-15 09:49 | Comments(0)

二学期終了。冬期は15日から

先週で二学期も終了。
みんな良くがんばりました。
苦しかった人も、ぐんと伸びた人も、
これまでの頑張りが実を結ぶのは、冬期からです。
すでに推薦入試や社会人入試で合格した人も、
残りの期間でデッサン力・平面構成力をつけて大学に入ってください。

特に現役生にとっては、ここから1月いっぱいの努力が大切です。
どんなにつらいことがあっても、一歩一歩、一つ一つ課題をこなして
受験まで突っ走りましょう。
by seibi-seibi | 2010-12-13 15:52 | Comments(0)

GKデザインと昭和の旅

 冬期講習の案内はこちら

 みなさん、GKデザインをご存知でしょうか。昭和27年、戦後間もない頃、GKデザイングループは創設されました。当時はまだ、デザイナーという仕事が認知されてはおらず、製品作りの過程でそのつど要請されるデザインを考えていく、といった状況でした。そんな中においてGKの設立はデザイン業界の成立を促す起爆剤となっていったのです。こんにち、GKデザイングループの手になるデザイン製品は、過程の中に深く浸透しています。たとえば、キッコーマンの醤油さし(デザインは栄久庵憲司による)。これなどは、どこの家庭にも一個はあるだろうプロダクトです。洗練されていて、無駄のないカタチ。その上持ちやすく液だれもしない。その存在すら意識されないほど、現代の食文化のなかに深く浸透していているこの醤油さしは、戦後日本を代表するプロダクトデザインであり、日本料理に特有な「醤油」にカタチを与えた、いかにも日本らしい製品です。この製品は、海外のデザイン史の書物を読んでいると、必ず紹介されている傑作のひとつなのです。
 このように、本当に良いデザインは、その存在が意識にのぼらなくなるほど普遍的なものとなりうるのです。昭和時代は新技術と新製品の生み出された時代でした。GKデザインの送り出した製品の数々を見ていると、それを初めて使ったときの記憶とともに、その当時の風俗や流行もまた思い出されます。なかにはもう、役割を終えて歴史のかなたに潰えていきそうな製品もあって、時代の推移の速さを感じさせます。GKデザインを俯瞰することは、昭和を旅することにもなるのです。
by seibi-seibi | 2010-12-08 12:54 | Comments(0)

グッドデザイン

冬期講習の募集はこちら
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 今年もグッドデザイン賞の大賞が決定しました。
 大賞は、ダイソン株式会社の製作したエアマルチプライアー(扇風機)です。
 流体力学を応用し、吸い込んだ空気で円形の気流を作り出し、ここに発生する気圧の差を利用して気流を送り出します。画期的なのは、羽根がないこと。これにより、幼児が怪我する心配もなくなります。この安全性と、画期的な機能によるまったく新しいデザインの開発。それが、受賞理由になっています。新技術の開発が限られている今日において、新たな技術とデザインが同時に提示されるのは、珍しいといえます。
 グッドデザインの歴史は1957年から始まります。グッドデザインのサイト説明にもあるとおり、「豊かな生活と産業の発展」をめざして制定された賞です。最低限の生活を維持するのに大変であった50年前、生活の質の向上に資するデザインを奨励しバックアップすることで、社会を明るくしようとしたのです。当時は新技術による新製品の開発が盛んでした。ラジオ テレビ 冷蔵庫などなど、日常生活に流れ込んでくる新製品。それらをどのようにデザインしていくかは、火急の問題でもあったのです。思い思いに考え、試行錯誤できた当時のデザイナーは、自由な発想でさまざまな製品に形を与えていきました。そういったものが登場することで、人々の日常生活も変化し、整えられていきました。今回のエアマルチプライアーもそういった一例になるでしょう。器具のまわりにネットも必要ない扇風機。子供たちにも安全な器具の開発は、人の生活をもデザインしなおしていくのです。
 同サイトでは過去のグッドデザインもアーカイブ化されています。これを見ていると、それらを使っていた時代が生々しくよみがえってきます。プロダクト製品と日常生活が密接に絡み合っている時代に生きていることを、思い起こさせてくれるのです。
by seibi-seibi | 2010-12-06 16:57 | Comments(0)

喜・哀

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 喜び・哀しみ。それは表裏一体。
 ここに紹介したのは、土曜クラスの作品。各自思い思いに喜怒哀楽を表現した作品から二点。
 かんがえてみれば、人の感情はさまざまあり、日々変化します。この変化は気まぐれで、移ろいやすい。喜びにあふれた日もあれば、哀しみに埋め尽くされるときもあります。その変化こそが感情なのです。ここにあげた作品では、あまり技巧などにこだわらず、感情を表現することに重点を置いて描いています。タンポポから飛び去っていく種子に、喜ばしい将来を感じる生徒。頭の中でまとまらず、苦しくもがいている哀しみを表現する生徒。それらは素朴さの中に限りないイメージを感じさせます。実際には見えない感情を、周囲の事象に投影して形象化する。イメージを形にして定着させる基本を、知らず知らずに学んでいるのです。
 大学受験になれば、もっと抽象的・単純化を行い、ある意味において洗練されなくてはならないのですが、そういうときになっても、このような「素直な表出」を忘れないでほしいと思います。
by seibi-seibi | 2010-12-01 14:10 | Comments(0)