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あと二週間


二学期終了まであと二週間。
そのあとはすぐに、冬期・直前講習です。
ここからが追い込み時です。

冬期・直前講習になると、現役生も朝から実技になります。
実技というのは、不思議なものでこの冬期講習以降が一番伸びます。
受験近くなって、なにか吹っ切れるのでしょうか。
開き直りとでもいいますか。
そうしてここからが、伸びる。
特に現役生。
今までやってきたことがつながってひとまとまりになる。
そうすると、もう、一気に変わってくる。
これからが本番です。
がんばりましょう。
by seibi-seibi | 2010-11-29 18:41 | Comments(0)

均衡と緊張・フラーの多面体。

2010 冬期講習の案内はこちら
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 前回のフラーの創造した、フラードームの原理を用いた、ちょっと面白い玩具を紹介しましょう。
TENSEGRITOYと名づけられた、組み立てて多面体の構造物を作り上げる玩具です。多面体を組み立てるだけならば、展開図さえあればこと足りるのですが、これはちょっと違います。TENS=TENTIONのこと。つまりテンション。テンションとは緊張のこと。よく見ると各棒は、それについたゴムひも同士の引っ張り合いによって接合されているのです。すべての棒同士は接しておらず、ひとつひとつ空中に浮かんでいるのです。しかし、多面体が作り出す力学的な均衡が、すべての棒に働いているので、押しても引いても容易に壊れません、かかった力は、互いに打ち消しあい分散され、全体で吸収するようになっています。この軽くて、無接触な多面体はおそらく、かなりの圧力にも耐えられるはずです。このような原理を応用したものが、キャンプ用品のテントや、東京ドーム(古くは富士山頂上の気象観測所)のようなドーム状建築に生かされているのです。
 この玩具は、棒の本数を変えることで、さまざまな多面体を作り出せます。フラーは、幾何学的な秩序が持つ強さと、それが織り成す多面体に着目して、新たなデザインを考えた人物です。それはバウハウスのデザインとは異なったところから発生し、独自の方向を見いだしたようです。アイディアとは、そういった異なった視点から物事を再検討・再構築しなおし、新たな可能性の水脈をみいだす、そういった思考のことなのです。
by seibi-seibi | 2010-11-22 13:02 | デザインするって? | Comments(0)

バックミンスターフラーとともに。

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「宇宙船地球号」という言葉を聴いたことはありますか。虚空の宇宙の中にひとつだけ、ぽつりと浮かんでいる地球。真空に中でほかと隔たって密閉された容器のようにある地球を宇宙船になぞらえて形容した言葉です。この言葉は一人の建築家・デザイナーによって作り出されました。その人の名は、バックミンスターフラー(1895-1983)。既成概念にとらわれることなく、さまざまな分野を横断し、作り、発明していく姿は、万能の天才とも呼ばれる人です。ハーバードを出てから海軍に入った彼は、一人の有能な船乗りとしてキャリァをスタートさせ、さまざまな職に就きながら、独自の発想で製品を送り出していきます。
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 現在のユニットバスの原型となったダイマクションユニットや内部に柱を持たないフラードームなどが、その代表的な作品です。それは従来の建築概念からはみ出した、型破りな発想によっています。フラーが提唱した「ダイマクション」とは、DY(NAMIC) MAXI(MUM)ION、の合成語で、「ダイナミックかつ最大化すること」を意味しています。このキャッチは、フラーの哲学を簡潔に表しています。限りある資源を有効利用して、その総量を最大限に引き出して使えるなら、それはもっとも効率よく、同時に低コストで済むはずだ。フラーはそう考えます。20世紀中葉にこれを提唱し始めた彼は、現在の世界状況も見据えた、いわば先覚者であったのです。
 フラーは三角形の持つ強度に注目し、三角形構造のアングルをつなげることで造られるドームを設計します。幾何学的には最小の表面積で最大限の容積の建物を作り出せるこのドームは、建築部材を最小限にしながら、軽量で強度も格段に高い。良いことずくめのこのドームは、現在公共施設や体育館など、巨大な建物の多くに採用されています。当初は軍の移動可能な簡易施設などに使用することを念頭に置いたものだったようですが、住居としても用いられています。
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 フラーが面白いのは、このような構造を自然の中にも見いだし、生命系の中で位置づけて見せることです。植物の種子や、蜂の巣のハニカム構造の中に、同様の「ダイマクション」を見いだしていく。そして自然の中で生きる人間の営みを、持続可能な生態系に引き戻して考えていく。このような思想が「宇宙船地球号」という言葉に集約されていくのです。
 デザインをしていくことで、人間と文明のありようを考えていく。エコロジーがしばしば議論され、資源枯渇の問題と直面しつつある現代において、フラーはわれわれとともに進む良き航海士なのではないかと思います。
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by seibi-seibi | 2010-11-18 18:38 | デザインするって? | Comments(0)

成城も秋。

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 今年は少し遅いようですが、今週から色づき始めた、成城の銀杏並木。セイビのすぐそばの景色です。黄金色の葉が雨のように降りそそいで、街路を黄色く染めるのは12月になるかもしれません。帰り道を急ぐ小学生たちも、落ち葉を踏み鳴らしたりして、その感触を楽しんでいるようです。
by seibi-seibi | 2010-11-18 15:32 | Comments(0)

「計る」ということ。

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 デッサンをしていると、「もっとモチーフをよく見て、計ったほうがいいよ」といった言葉を耳にします。生徒の多くは、頷いて「ハイ」などと元気に返事を返してくれます。さて、この「計る」こと、なかなか難しいものではないでしょうか。それで「計り棒」や「デスケール」といった道具の登場となります。計り棒とは、40センチくらいの金属の棒です。この棒でモチーフのおおまかなプロポーションを計り、把握するわけです。デスケールは格子の入った窓状の計測器です。こちらはプロポーションとともに、構図を決めるのに用いられます。どちらも美大受験生であれば一度は使ったことがあるでしょう。
 この二つの道具は、測るのにかなり有効なのですが、使い方をしっかり知っておかないと思わぬ勘違いを起こしやすいようです。基本は手に持って垂直にして使うこと。また、伸ばした腕の長さを常に一定に保つことです。特にデスケールは要注意です。
 デスケールは、つまり、垂直に立てた窓から外を見ているのに似た状態を作り出す道具です。窓の位置と見る人の位置がしっかりと固定されていないと、見えるもの(モチーフ)の位置関係は変わってしまいます。ですから、原則としてデスケールを持ったらしっかり固定しなくてはならないのです。つまり、デスケールを上手く使いこなすのは、それなりの工夫が必要になります。ここにも、前に話題にした遠近法との連関があるのです。見ている人が静止していて、モチーフとの距離と位置が一定に保たれていること、それが前提となっているのです。
 これは私見ですが、しばらくデッサンをしていて慣れてきたら、過剰にデスケールに頼るのは、いかがなものかと考えています。それより、構図の良し悪しを自分の眼で見極められるようにするほうが、はるかに実際的であろうかと考えます。人の目はかなり正確な計測器具で、慣れてくれば2,3ミリの狂いもたちどころに見抜けるものです。眼を鍛え観察力をアップさせるほうが、本当の意味でのデッサン力につながると思います。
by seibi-seibi | 2010-11-11 15:21 | Comments(0)

卓上デッサン

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今回は卓上デッサンの様子です。
受験までに、あまり繰り返し演習することは少ないのですが、卓上デッサン特有の問題をクリアさせるためにやっています。卓上デッサンでは、自分の描いている机と、モチーフが同一の高さになります。このとき一番起こりやすいのは、高さの問題。端的に言うと見下げてしまいがちになる。見下げたような視点から描くと、どうしても違和感が感じられてしまう。そこで、実際よりは少し視点を下げて描くようにしたほうが良いようです。そうすることで、絵的に自然な感じに仕上がります。それと構図のこと。自分で組み立ててよいわけなので、構図はいくらでもよくできるはずなのですが、はじめは上手くいかないものです。これを克服するために、モチーフの置き方と特長を生かした見せ方を研究する必要があります。たとえば高さを演出できるモチーフ(ビン)とか、奥行きや流れを作れるモチーフ(ヒモとか紙テープ)などをうまく用いて動きのある構図を作る。これは慣れとクロッキーでかなり習得できるようです。そして何よりも徹底的に描くこと、これは静物デッサンと変わりませんね。
by seibi-seibi | 2010-11-10 17:39 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

自然の色彩から学ぶ

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 刻々と寒くなって、空気も透明になり、紅葉した落ち葉が街路を染める、そんな秋らしい気配が感じられる時期になりました。写真は、落葉したプラタナスの樹。その幹の模様です。なんんとも美しい配色ではありませんか。それにこの模様。自然にできたかたちが、すでに完成された美しさをもっている。こういったものを街中で見つけることの僥倖。しばらく見つめ続けてしまいました。
 かんがえてみれば、私たちが何かを「美しい」とか感じているとき、その基本となる美的基準は、自然界の調和した美しさによっているわけです。地球の上で進化して適応してきた人という生き物も、自然の中に見いだされる調和・秩序の一部であるはずです。その、人が感じる「美」は自然の中にまず見いだされるはずなのです。そんなかんがえに立ってプラタナスの幹を見つめていると、その模様の美しさは、私たちに「万巻の書物」より多くのことを教えてくれるのです。街中の木々が色づき、色彩に満たされていく晩秋。みなさんもまわりを見渡して自然のつむぎだす美を見つけてみましょう。
by seibi-seibi | 2010-11-08 17:18 | Comments(0)

卒業生の活躍



 セイビ卒業生、吉田悠さん(武蔵野美術大学・映像学科 2009年卒業)の映像作品が、バンクーバー国際映画フェスティバルに招待出品されました。(映画祭の作品紹介ページはこちら)この作品は、武蔵野美術大学映像学科の卒業制作として、制作したものです。(ムサビでの広報はこちら)同作品はバンクーバー国際映画フェスティバルに先立ち、イメージフォーラム・フェスティバル2010にて優秀賞を受賞しています。上映時間3分弱のアニメ作品で、題名は「Experiment for Animated Graphic Score」。全編フルアニメーションによる楽譜が織り成す、音楽とグラフィックの競演。見ていて楽しく、聴く愉しみもある魅力的な作品に仕上がっています。変幻自在にすがたを変え、拡がっていく楽譜は、すべて手書きで仕上げたといいます。それを一枚一枚スキャンして、PCに取り込んで編集し、音楽をあわせたといいますから、大変な手間だったようです。作曲も演奏も吉田さん本人によるものです。
 「音楽と映像の融合した作品を作りたい」。
 彼がセイビで映像学科対策の課題を行っていたとき漏らした言葉です。高校生であった当時から、バンドを組み、ライブハウスでライブ活動をしていた吉田さんにとって、音楽は分かちがたく生活の一部になっていました。ただ「音楽をつけた映像」ではなくて、音楽と映像がともに溶け合い一つとなっているような作品を作りたい、と熱っぽく話していた彼の夢が、今回カタチになったといえましょう。「尊敬する人はヨーヨーマ」と話してくれていた彼は、クラシックの知識も豊富です。今回の作品、始まりと終わりの部分は、クラシックのような旋律が奏でられます。それは、クラシックを習ってきたこともある彼の、楽譜に対する愛情のようにも聴こえます。楽譜は打ち震え、波紋のように拡がっていきます。音楽の移り変わりとともに、楽譜が一つの宇宙を創りだすような、そんな感じさえします。彼はこのような映像作品意外にも、音楽活動も精力的にこなしており、これからの活躍が期待されます。これからも斬新な切り口の、想像力豊かな作品をつくりあげて欲しいと思っています。
by seibi-seibi | 2010-11-05 22:31 | Comments(0)

「視点」の発見。

 冬期講習の特典等についてはこちら
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 初めてデッサンを習う生徒は、描くにあたって気をつけることをいくつか言われます。イーゼルの位置とか、木炭などの持ち方とか。特に座る位置と姿勢について、注意するよう言われることと思います。絵を描くにあたって、座る位置を決めるのには大きな訳があります。そのいちばんの理由は「視点」の問題です。座る位置を決め、姿勢を正すのは「視点」を固定して一定に保つためなのです。つまり眼の位置を動かさないということ。しかし、なぜこれが大切なのでしょうか。
 それは遠近法との関係にあります。むやみに視点を移動すると、見ている対象=モチーフの見え方が変わってしまうのです。たとえば立方体を描くとしましょう。描いている最中に椅子を移動すると、立方体の左右の見え方は変わってしまいます。もし遠近法に忠実に台上にあるモチーフを描こうとするなら、座っているい位置や眼の高さ(視高)を変えるわけには行きません。
 ここに載せた写真は、座る位置を覚えておくため、床に貼ったテープです。特に初心者が多い場合、セイビの床にはあちこちにこのようなテープが貼ってあります。生徒はこのテープを目安にして椅子を置き、描き続けていきます。次第に慣れてくるに従ってこのような印は必要なくなりますが、最初はどうしても必要になります。デッサンを描いていると、遠近法の問題は常につきまといます。「どうして形が取れないのか」「なんだか歪んで見える」といったとき、それは遠近法の狂いからくることがおおい。しかし、もし、座っている位置が動いていたりしたら、どのように間違っているのかすら分からなくなります。
 さて、現在では当たり前に用いられる遠近法ですが、その確立を見るルネサンス時代以前は、現在から見ればかなり奇妙な描き方をしていました。それはただ正確ではないと片付けられる問題ではないのですが、ルネサンス時代に遠近法が確立してからは、見たままに描くことが可能になったのです。遠近法原理の根底にあるのは、対象を見ている自分の「視点」の発見にほかなりません。自分が動かずにある一点から世界を見つめている、その世界が人間が見ている「現実的な」世界だという考えによって、遠近法は確立したといえましょう。それは世界を見ている一個人としての「私」という存在に重点を置いたものの考え方です。一人の私という人間が世界を見ているということ、「視点の発見」はまた同時に、「個人」としての人間の発見にもつながっているのです。ユマニスムが勃興して、「人間」の再発見が行われていたルネサンスにおいて、遠近法が確立してくるのは至極当然の成り行きであったといえましょう。
by seibi-seibi | 2010-11-04 13:36 | Comments(0)