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「漆のしごと」展が開催中です

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いま、ギャラリーART ACTでは「漆のしごと」展を日曜まで開催しています。
日常用いられる皿やざる、お椀を製作したのは、展技グループ の長岡一夫さんです。
長岡さんは、たくさんの職人さん、大工さんたちを率いて、広告宣伝から、博物館・店舗設計・内装やショーウィンドウのディスプレイを施工していらした方です。そのキャリアは50年に及ぶといいますから、長岡さんの経歴は、そのまま戦後日本のディスプレイ・室内装飾の発展・発達と重なります。長岡さんは仕事の関係上、腕のある大工さんや職人さんを抱えています。この方たちがうつわや木地などを製作し、漆塗りを長岡さんが受け持つというかたちで、今回展示している作品が出来上がりました。
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漆塗りは、それだけでも大変な技と手間がかかります。長岡さんはその上に、日本古来の伝統技法の蒔絵を施しています。また、元来広告宣伝部で文字を書かれていた経験を活かし、多くの作品に文字が描きこまれているのも、ユニークなところでしょう。木地に墨で文字を描き、その上から何度も漆を塗り重ねていく「拭き漆」により製作されています。また「螺鈿」による装飾も用いられています。螺鈿は、貝などを木地にはめ込み漆塗りしていく、奈良時代からある伝統技法です。細かく装飾を施された作品のひとつひとつを手に取ると、漆器にたいする長岡さんの深い愛情が感じられます。
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おぼんや皿は3500円くらいから、大小取り揃えており、価格もリーズナブルです。お近くにお立ち寄りの際はぜひお越しください。
会期は10月3日 6時までになります。
by seibi-seibi | 2010-09-30 12:43 | Comments(0)

花椿とMIT

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みなさんは、『花椿』をご存知でしょうか?
資生堂の発行する雑誌『花椿』は、1937年の創刊以来、「最新の美容・ファッション情報を独自の視点で捉え、文化的豊かさを独自の視点で伝え」(資生堂サイトより引用)つづけ、現在にいたっています。一企業の出版した広告媒体として、戦前から戦後まで、一時期の休刊こそあるものの刊行し続られた背景には、この雑誌の先進的なデザイン性によっていたといえましょう。
資生堂宣伝部に集った人々は、当時、もっとも都会的な図案を製作し『モダン』な女性のイメージを作りだしたといえます。ハイカラでセンスの良い図案やカットを多用した紙面は、それだけですでに新しい女性の生き方を指し示していました。その上、ファッションは言うに及ばず、西欧の生活スタイルや映画、プレタポルテまで、紙面を飾った記事も新婦人の生活にふさわしいものばかりだったのです。(ここで言う図案とは、現在のグラフィツクのことです)
企業の広告雑誌の枠を超えて、「モダン」の代名詞であった『花椿』には、さまざまなデザイナーが登用されました。デザイナーたちの作品は、広告・ポスターからパッケージへと広がり、一企業のトータルなイメージを作り出していくこととなります。その方法は最近のデザイン戦略を先取りしていたといえましょう。
このような『花椿』や資生堂のデザインは、現在の目から見ても美しく、示唆に富むものばかりなのですが、資生堂資料館の紹介によると、最近では、マサチューセッツ工科大学で紹介されているようです。マサチューセッツ工科大(MIT)のサイトによると、「ユニークなビジュアルイメージを教材と役立てることを目的として、アジアを含む世界のデザインなどを集め、学習用に公開している」とのことです。MITは美術の学部を持っていますから、そこの学生用でもあるのでしょう。しかし、アメリカの大学のサイトで、資生堂のデザインに出会うというのは、かなり奇妙なものですが、それだけ高く評価されている日本のグラフィツクに、うれしくなってしまうのは私だけではないでしょう。
by seibi-seibi | 2010-09-28 14:46 | デザインするって? | Comments(0)

土曜日のクラス

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やっと、暑さもひと段落、かと思ったら今日は15度で、冷たい雨がしとしとと降っています。鰯雲のたなびく、日本の秋はどこにいってしまったのでしょうか。寒暖の差が劇的にすぎて、季節の移り変わりが感じられません。
そして今週末は10月。二学期から入学した高校受験生たちも、やっと慣れて落ち着いてきたところです。美術系高校受験では、基礎的なデッサン力と色彩感覚を試されます。高校によって出題内容が変化しますが、求められていることは一致しているようです。
まずは、楽しく絵が描けるか。中学三年生に課される問題なので、とにかく描くのを楽しんでいるか。そして楽しみながら、的確に観察し描写しようとしているか。この二点がいちばん大切なようです。
とはいえ試験ですから、手際よくまとめ、時間内に仕上げなくてはなりません。それは大学受験と一緒なのです。ですから、作業の早さ(これはなれと訓練で身につきます)と素直な気持ちという、両方を持っていなくてはなりません。セイビの中学生たちも、迫る受験に向けてがんばっています。しかし、一番忘れてはならないのは、一生懸命、楽しみながら描きあげることなのです。
by seibi-seibi | 2010-09-27 15:37 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

細密に挑戦

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 あっという間に、9月ももうすぐ終わります。
 今日は最後の暑い日になるそうです。
 先週は、細密デッサンをしていました。たぶんこれが、みんなでひとつのモチーフをじっくり描く課題としては最後のものとなります。よく見て直していく。気づいた時点で修正する。そういう勇気と根気をもって描く。「細密デッサン」とは、ただ細かく描くデッサンではなくて、細かなところまで観察し、間違いを見つけていくデッサンなのです。ひとがものを観察しているとき、かなり見ているつもりでも、まだまだ見落としは多いのです。それ以上に怖いのは、思い込み。人は思い込むと間違いに鈍感になります。いかに客観性を持って描いていくか。それを養う課題が細密デッサンです。
 今週からはもう、各コース・分野別課題に入ります。専攻別に即して一人ひとり別々のカリキュラムに入っていくのです。立体から平面まで、方向も考え方も異なったカリキュラムが各自個人別に作られることになります。
by seibi-seibi | 2010-09-22 21:12 | 芸大 美大受験 | Comments(0)

デザインの潮流 バウハウスとその周辺から3

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バウハウスが目指したデザインがわれわれの生活自体をディレクションした、と前回書きました。これはどういうことなのでしょう。
バウハウスが活動していた当時、バウハウスから発信した、合理的なコンセプトに貫かれたデザインは、まったく新しい、「未来的」なものとして見えたと思います。とくに建築を中心にすえて考えていたバウハウスが作り出す、新しい感覚の建築物には、バウハウスのデザインコンセプトがあふれていました。装飾を排したシンプルで使いやすい住空間。それは、鉄筋による建築などを背景に設計されていったのですが、そこに住む人もまた、合理的にデザインされた住空間の使い方を会得しなくてはなりません。当然住まう側の意識も変革していくことになります。新しいデザインを使うということは、自分も影響されるわけです。生活スタイルをデザインしていく。使う人と社会を変えていくのも、デザインのもつ機能の一つなのです。
合理的でシンプルなデザインは、現代においてはもう、まったく隅々まで拡がっています。わたしたちは、そういったデザインの上で、違和感も不都合もなく、日々暮らしています。1920年代にバウハウスから始まった運動は、その後の文化の発展に、さまざまなかたちで寄与し続けています。また同時に、その発展の方向を規定してきたのかもしれません。21世紀になったいま、わたしたちのまわりには、おびただしいグラフィックやプロダクトがあふれています。そのどれも機能的に考えられています。一次的なデザインとしては、すでに問題ないレヴェルまで到達しており、改良や作り直しを迫られるような、「不足」がないのです。
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そこで、「リ・デザイン」という発想が生まれてくるのでしょう。いったんデザインされ完成したものを、もう一度デザインしなおしてみる。まったく新しいデザインではないが、細かな改良点や、着眼点を見いだせるかもしれない。「リ・デザイン」という考え方には、そういった発想があるのでしょう。あるいは道具の二次的な使用法を考えてみるのも、同一の地平に立っているのでしょう。その考え方のかなたに、バウハウスから続くデザインを変えていく力があるのだろうと思います。
by seibi-seibi | 2010-09-21 18:32 | デザインするって? | Comments(0)

デザインの潮流 バウハウスとその周辺から2

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バウハウスは、校長であったワルター・グロビウスの考え方のもと、建築を中心として、さまざまな分野にわたっていた、技術技能を統合し、乖離することなく密接に連携を図るカリキュラムをあみだしました。それまで、職業や技能別にに分かれていて、おのおのが特殊性を持っていた異分野を、ひとつの学校の中で平行して指導していくことで、各分野の境界を取り除いていったのです。その結果として、新しい発想や、新素材の採用などが可能になっていったと言えましょう。
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 積み重ねて収納が可能なパイプ椅子やワシリー・チェアーに代表されるような、自在に変形が可能な素材を採用して、従来の椅子の概念を変えるようなコンセプトは、それが職人の枠を取り払った結果として誕生したものでしょう。建築・グラフィック・プロダクト・染織・陶芸・ガラス・舞台にいたる、広範囲な分野を、マイスター(教授)たちは同時に教えていく(複線教育)ことで、各分野を俯瞰することの可能な視点に立つ学生を育てることをめざしたのです。
 バウハウスのカリキュラムが従来の芸術教育より革新性があったことは、戦後の美術教育にそのカリキュラム編成が引き継がれていったことを見てもうなづけます。現在のタマビ・ムサビの学科・コースをバウハウスが擁していたそれと比較してみると、ほとんど一致することを見ても、いかにバウハウスの影響が濃いかわかります。バウハウスは、デザイン教育のコンセプトを明示し、その方向を示した学校だったのです。
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 時代の流れとも密接にからみながら、合理的・近代的なデザインをカタチにしてみせたバウハウスですが、そのデザインはいま、われわれの生活に深く浸透しています。それはまた、われわれの生活スタイル自体をディレクションしていったとも言えるのではないでしょうか。このあたりのことについても、考えてみたいと思っています。
by seibi-seibi | 2010-09-16 15:46 | デザインするって? | Comments(0)

デザインの潮流 バウハウスとその周辺から


f0234596_16151341.jpg 美術、ことにデザインをこころざし、学んだ人たちにとってこの名前は一種特別な光彩を放っているのではないでしょうか。美大や専門学校のデザイン科に入学して、一度は耳にするのがバウハウスでしょう。バウハウスは、第二次大戦前のドイツにあった、デザイン学校です。ナチによる弾圧によって、1919-1933の14年間という、かなりの短命に終わってしまったバウハウスですが、この学校から発信された近代デザインについてのコンセプトは、およそ世界中の、ほとんどすべてのデザイン教育に影響をあたえましたし、今でもあたえ続けているのです。バウハウスは、それまでさまざまな分野において分化して営まれてきた、生産物をひとつにまとめ、それらにある方向性を与えた学校でした。その考え方を一言で言ってしまえば「合理性」の追求だと考えられます。それまで、ウィリアム・モリスらが目指していたアート アンド クラフト運動とは方向を異にしながら、しかし、そこで培われたものすら呑み込みつつ、ひとつに収斂していったといっていいでしょう。
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 バウハウスの思想、デザインに対する考え方は、当時のドイツ・ワイマールに突如として現れたのではありません。その背景にはアレキサンドロ・ロトチェンコやカシミール・マレーヴィチに代表されるロシア構成主義の勃興や、印象派以降のさまざまな諸派の考え方が影響しています。また美術界の流れとともに、忘れてならないのは、機械化とモータリゼーションによる急激な変化、のちに「大量生産」と呼ばれるようになる生産方式が確立したことがあげられるでしょう。それまで小規模で手工業的な生産により作られていたものも、大規模・大量に生産されうるようになったわけです。あらゆる生産品のデザインも、この生産方法の要請にもとづきプランされはじめます。
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 前回あげた、印刷技術の変化と発達も、そういったことの一因となりました。グラフィックデザインの発達は、広告(チラシ・ポスター・雑誌・書籍)媒体の印刷技術と部数によって大きく左右されます。また印刷スピードが速くなれば、当然、速く、合理的なデザインが優先されます。バスハウスの目指したグラフィックの背景には、そういった世の中の動きがあったのだと思います。
 印刷ではカラーよりモノクロのほうが安価にできます。現在でもそれは同じで、もしモノクロがいやなら、もう一色増やす方法を採用します。一色なのでカラーよりは安く済みます。さてバウハウスが活動していた1920年代は、おそらくはモノクロか一色使用が主流だったと思われます。色のないモノクロでいかに面白く豊かなグラフィックをデザインするか。あるいはモノクロプラス一色で、どこまで黒を有効に用いられるか、そういったコスト対比の制約の中でデザインも行われていたと思われます。しばしばバウハウスに特徴的な、白地を活かしたモノクロのグラフィックや、黒と赤を基調としたグラフィックの多くは、そのような制約を凌駕しようとした結果なのではないかと思います。タイポグラフィと構成の面白さは、現代でも十分通用する革新的なデザインをものにしたバウハウスのデザイン。もうそれだけで憧憬の対象になるのですが、その裏に制約もあったとかんがえると、その手腕にいまさら驚かされるのです。
by seibi-seibi | 2010-09-15 15:45 | デザインするって? | Comments(0)

パルプ雑誌のカバー アメージングストーリーなど

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昨日はノーマン・ロックウェルをめぐって、サタデーイブニングポストの表紙について書きました。アメリカは、ヨーロッパと並んで、20世紀のかなり早くから、雑誌の印刷が盛んだったようです。印刷技術の革新が著しかった20世紀前半の雑誌の中でも、いち早くカラー印刷を採用したのはアメリカなのかもしれません。ポストでも、カラー印刷による広告、写真製版は30年代くらいから見られます。考えてみれば、カタログ通販の草分け的存在であった、シアーズ・ローバックが無料カタログを印刷して、各家庭に配布し、通販で商品販売に乗り出すのは、20世紀の初頭です。(当時のシアーズ社のカタログはモノクロで、エッチングによる商品説明で、写真はほとんど用いられていません。)印刷技術の革新は、そのまま広告の仕方を変えていきます。モノクロ印刷での広告と、カラーでは、見せ方も異なってきます。30年代には多くの雑誌でカラー製版が行われていたのですが、ここに取り上げるのは、そんななかの一冊。いわゆるパルプマガジンです。(1943年6月号)
アメージング・ストーリーズ」は、30年代を中心にして人気を誇った雑誌です。掲載されたのは少年向けの空想小説。今で言うS・Fです。当時は、宇宙狭しと暴れまわる悪漢と、正義の味方・ヒーローの対決を軸とした、スペースオペラがはやっていた時代です。現在で言う銀河英雄伝説のような小説です。当時の少年たちに熱狂的に受け入れられた、スペオペの多くは、ここにあげた、アメージング・ストーリーズから発信されたのでした。
そんな子供向けの雑誌なのですが、アメージングという言葉通りの表紙になっています。今の目で見ると、きわめてチープな絵なのですが、逆に夢が詰まった絵に見えてもきます。レトロフューチャーとでもいうのでしょうか、過去のイラストの中にある未来像とイマジネーションが面白く感じられます。こんな雑誌ですらカラー印刷しているアメリカの印刷技術は、当時の世界でも一歩ぬきんでていたといえましょう。
まだエディトリアルデザインが体系的に確立していなかった当時、パルプ雑誌やカタログの発行とともに、自然とグラフィツクデザインの萌芽となるようなものが醸成されていったのかもしれません。このような印刷技術の革新が一方にあって、それによってデザインについての要請が起こってくる。技術とグラフィックデザインの進歩は、軌を一にして発達してくるのです。
というわけで、次回からは、デザインの潮流を追ってみたいと考えています。
by seibi-seibi | 2010-09-14 13:09 | Comments(0)

ノーマン・ロックウェルと水爆

二学期も二週目に入りました。
先週から始められた新入生たちも、慣れてきたでしょうか。
手続きやカリキュラム調整で少し手間取って、先週はあまり書けませんでしたので、今週はいくつか面白そうなことを書いていきましょう。
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今日は、ノーマン・ロックウェルの話など。
最近府中美術館でも展覧会が行われたロックウェル(1894-1978)は、アメリカを代表する画家・イラストレーターの一人でしょう。その作品を見ればだれでも、一度は見たことがある作品ばかりなのに気づく、そういったポピュラーなイラストレーターです。彼がもっとも活躍したのは1940-1950年代でしょうか。彼を一躍有名にしたのは、18世紀から発行され続けてきた、サタデー・イブニング・ポストのカバーでしょう。アメリカの雑誌の中でも格調高い、ポストのカバーは、その当時としてはかなり水準の高いカラー印刷で仕上げられていました。当然ロックウェルのイラストは、ポストという雑誌のイメージを代表するものとなりました。今で言うCI的デザインとなっていったのです。彼の作品は『アメリカン・ノスタルジー』の枠内で語られることがおおいようです。古きよきアメリカの市井の人々の、日常生活の断片を、あるときはユーモアたっぷりに、またあるときは風刺をこめて描いています。デフォルメの上手さ、物語性のあるシーン。それがどんなシーンなのか誰にでも分かる。そして見た人をニヤッとさせるような暖かなユーモア。多くの作品にはそういった、『アメリカの良心』とでも呼べるような雰囲気があふれています。
ロックウェルの作品は、それが雑誌のカバーだということもあって、その表紙だけが展示されたりすることが多いようです。けれども、これはあくまで雑誌なので、雑誌として手にとって見ると、また違った側面が見えてきます。
最初にあげる一枚は1941年7月26日号。題名はtwo flirts (flirtには、浮気する、ナンパするという意味と、ひょいと投げるという意味があります。ナンパと花びらを投げるのを掛けているのです。)おじさんたちの乗っているトラックの側面に描かれたように、雑誌名が読める、という、楽しい作品です。内容は見てのとおり。戦前のアメリカの陽気さ(日米開戦は1942年12月です)に圧倒されますが、カラー印刷のよさに、もっと驚かされます。
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次にあげる一枚は1957年3月25日号。題名はafter the prom プラムとは、高校卒業のときに行うダンスパーティーのこと。初めて大人としてレディをエスコートしたその帰り、立ち寄った店での一シーン。手袋着用の、初々しいジェントルマンぶりの男の子の顔は、緊張ではにかんで見えます。この作品だけを見ていると、むかしのアメリカはなんと素敵だったのだろうと思えますが、この号のトップ記事は「水爆が落ちたらアメリカはどう行動するか?」で、その内容は、冷戦を背景に、ソヴィエトの核攻撃におびえる世相を反映しています。ロックウェルが描き続けていた、アメリカの美しい風景は、すでにその周囲にあらわれたさまざまな脅威に脅かされていたかのようです。雑誌記事の過激さと、ロックウェルのカバーとのコントラストは、そのまま苦悩するアメリカの両極を、いみじくも表わしているのです。

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ロックウェルが亡くなる数年前、ポストは「ロックウェルを訪問して」という特集号を発行しています。年老いたロックウェルの創作秘話も多く載せたインタビューは1971年夏のもので、このころ激化しつづけるヴェトナム戦争情勢は、すでに抜きさしならないところまできていたのです。
by seibi-seibi | 2010-09-13 14:42 | デザインするって? | Comments(0)

台風一過 秋風到来

今回の台風は、その奇妙な進路もあってか甚大な被害を出しましたね。
水曜日、東京も2時頃からどしゃ降り状態になりました。
新橋とか麻布で冠水したというニュースが入ってきたのは夜になってから。
セイビの夜間部は、そんな天候にもかかわらず開始しました。
ほとんどの生徒の学校では「警報」の発令で休校。
4時過ぎ早めに到着した高校生は、みんな疲れた様子でした。
5時になって、警報の通達を見ると世田谷は解除していましたから
そのまま授業は続行となりました。
夜9時には星もチラホラ輝き始め、台風が過ぎ去ったことを知らせていました。
しかし、小田急線がいつ止まるかとヒヤヒヤしたのでした。

さて二学期も始まって一週間、今週は新規入学者も多く、
手探りの状態で、走っている感じです。
各生徒の進路、受験方法、などなど、緻密に調査してカリキュラムを練ることになります。
とくに推薦関係は多岐にわたり、試験内容、描材もヴァラェティに富んでいます。
受験する本人がこのことを熟知するのはもちろん、
セイビとしても漏れのないよう、しっかり調査していくこととなります。
来週からは皆さんもなれて足並みも揃うと思います。
by seibi-seibi | 2010-09-10 11:11 | Comments(0)