カテゴリ:デッサン( 9 )

デッサンから色彩へ

先週はデッサンをしていましたが、今週からは色彩を用いてゆきます。
まずはデッサンして、その後に色を使う。
なぜなのか?
デッサンは、色彩がない、モノトーンの世界です。
色彩をなくした描法ともいえます。
そうすることで、明暗のみを優先して描いていくのです。
色彩に惑わされることなく、明るいか、暗いかだけをたよりにえがいていくと、
モチーフの立体感、形態感に接近できるのです。
立体が、どのような明暗によってみえているのか、デッサンは教えてくれます。
これを把握するために、まずはデッサンを行うわけです。
とうぜん、カタチの正確さなども、デッサンでは明快に分かります。
明暗とカタチを理解してから、それをもう一度色彩で置き換えてみると、
色の明暗、つまり明度の理解につながるわけです。、
デッサンしてから色に進むのには、わけがあるのです。
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by seibi-seibi | 2016-04-19 18:51 | デッサン | Comments(0)

中学生の着彩

中学生による着彩とデッサンです。
今回は卓上で行っています。
デッサンの基本は観察なので、根気よく、見えているものはすべて描く。
間違っているのがわかったら、なおす。
さいごまで描ききる。
そんな、一番基本的なことをさぐりながら、じっくり、きちんと、描いています。
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by seibi-seibi | 2014-10-09 19:24 | デッサン | Comments(0)

受験で終わらないデッサンを・・・・

美大受験につきもののデッサン。とにかくも、描けなくては、合格しないのですから、どうしても「受かるデッサンをなんとかしなくては」と焦るのが受験生の宿命でしょうか。
そして、合格が決まると、改めてデッサンを描こうという人は少ないようです。
でも、本当はここで終わらせてほしくはないのです。

本当はここから、生涯を通じて探求してほしい。
そして、デッサンがさまざまな対象物の理解を深める道具であることを、知ってほしいのです。(Y)
by seibi-seibi | 2013-01-05 15:24 | デッサン | Comments(0)

手のデッサン

夏期講習三週目。今週は、人体週間です。
そして今日と明日は手を描く。

美大受験でも、必ずといっていいほど出題され手。
でも、なぜ、「手」なのでしょう。

それは、手が最も見慣れた人体の一部であること、
加えて、手によって私たちは作り、考えてきたからでしょう。
人類が樹から降りて直立二足歩行を始めたとき、
それまで木の枝に掴まる道具であった手が解放され、
ほかの使用法の獲得に進んだのです。
それこそが「道具」を作ること。だったのでしょう。
手がなかったら、おそらく現在の文化も、芸術も生み出しえなかったのです。

といったわけで、手はデッサンの重要なモチーフなのですが、
やはりなんといっても毎日見慣れているので
狂いがあれば誰にでもすぐ分かる。分かってしまう。
だから採点もしやすい。
というのが、現実的な出題意図かもしれません。
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手を良く見て描くこと、これはなかなか難しい。
急にうまくなるものでもない。
これを打開するのが、クロッキー。
毎日数枚でも、手を描いてみる。
さまざまなポーズや、物を持った手。
これをスケッチし続けていくと、次第にうまくなります。
これも急にきれいな線が出たりしないので
あきらめないで、地道に続ける。
そういう努力が、半年くらい続くと、ようやく結果に結びつきます。
by seibi-seibi | 2012-08-15 11:39 | デッサン | Comments(0)

自画「像」を描く

基礎科は自画像を描いています。
なんで自画像なのか。
なぜ画家は、自画像を残すのか。

やはりそれは、自己との対話なのでしょうし、確認なのでしょう。
描く主体としての自分。いつもはその存在を直視することはありません。
なぜなら、自分はモチーフと、キャンバスを見ているから。
描く人「行為者」としての自分の存在はいつもそこにあるのにもかかわらず、
意識されないのです。
意識されるのは、作り出される作品と、
そこから発生するイメージの蓄積だけです。
しかし、自画像となると、自分自身を、
描いている行為者そのものを覗き込むことになるのです。
「自画像」といわれると、滑稽さ、気恥ずかしさを感じるのは、
そのせいなのかもしれません。

描いている自分を、さらに描く。
いまここで、描く自分を「描く」。
劇中劇のような、観客と役者が同一化するような、
奇妙な一瞬。その過程において、
自己の存在を、露わにしてゆくことになります。
by seibi-seibi | 2012-08-03 14:05 | デッサン | Comments(0)

明暗の差を発見し、描く

セイビの近所で以前撮った椿を白黒写真にしています。
葉は深い緑。花びらは白。当然白黒に置き換えれば、このように強い明暗の差がつきます。
実際、日常生活で通常の見方ではこの「明暗の差」について気に留めないかもしれません。
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日常では、色彩を頼りに生活しています。色彩によって暖かさ、冷たさ、賑やかさ、静けさ、注意喚起など色彩がなければ人の生活は成り立たないと言っても良いでしょう。それほど色には敏感であり、逆に頼りすぎているのかもしれません。
その為に、目の前の世界の「明るさと暗さの差」を見落としがちになります。この「明暗の差」とはなんでしょうか?

光があるから見える。これ当たり前のこと。なぜ見える?ただ明るいから?

でも光を直視するとまぶしいし、真っ白で形すらわからなくなります。明るいからという理由だけではなさそうです。
明るい部分に対して暗い部分も人の目は感知しているから、立体物が「見える」のだと思います。

(もしも人の目が色のみを感知するならば、世界は色のつぎはぎ。立体感や空間を感じることはできるのでしょうか??このことはまたの機会によく考えてみましょう)


サイコロに、向かって右上から光をあてると左側の面は暗がりになります。光がサイコロそのものに遮られて、光の反対側は暗くなります。影も落ちます。いわゆる陰影というやつです。
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生活する上で程よい明るさであると、このように明るい部分とこの陰影を感知して目の前に物が「ある」と気づくわけです。
だから、10m離れた友人の顔も分かるし、自動車が接近して来た!と危険を察知することもできます。
光と影、明と暗によって物と自分との距離やその物自体の大きさを感じることができる。空間を把握することができるのです。


私たちは、日常の見方ではあまり気づかないこの当たり前のことを再発見しながらデッサンしていきます。

再発見する為の見方のうちの一つとして、目を細めて観る。ピントをずらして観る。という方法があります。以前にもレンブラントの回で紹介しています。
目を細めるとぼやけて見えます。細部の情報が排除され、物の明暗の差がはっきりし、立体が段々と浮き上がって見えます。より立体的に。

細かい情報に頼っている目の能力を少し落として世界を見渡すと、親しい友人も人体という立体として見えてきます。
顔の表情や服装などで判断していたその印象が、意外と骨格ががっちりしていることに気づいたりします。

つまり、明暗の差をしっかりつかんで描くことで、物の本来の姿とその存在をよりはっきりと見せることができるのです。

この場合、物を観た時の最初の明るさ暗さの印象を大切にすること。そして常に明部と暗部を比べて観ることが大切です。
また、明暗の差を実際感じるよりも激しく表現し描くことによって,コントラストのはっきりとした明快な絵にもなります。

人は、知らずと明るさ暗さを瞬時に比べてその差を感知し、物を見ています。
描く側は、その瞬時に見ることを時間をかけて丹念に観察し、本来の姿をあばきながら描いていきます。
by seibi-seibi | 2012-05-18 00:57 | デッサン | Comments(0)

土曜のクラス

土曜のクラスは1時から6時まで、
ゆっくりと落ち着いて基本を見つめるクラスです。
中1から社会人まで多彩な生徒が学んでいます。
多くは美術系高校受験や、美大受験の基礎課程になっています。
現在はデッサンの授業中です。(Y)
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by seibi-seibi | 2011-10-08 16:12 | デッサン | Comments(0)

アトリエで制作中!一般油絵コース

油絵コースのYさんは、自分でモチーフを組み、木炭デッサンに取り組んでます。選んだモチーフは牛骨と卵です。ごろっとした大きな牛骨とコロコロとリズミカルな小さな卵、この差に惹かれたのでしょうか?それと、立った状態の視点の方が面白いという事で、立ってデッサンしています。
入学当初から本当に意欲的に頑張っています。完成が楽しみです。
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by seibi-seibi | 2011-05-18 18:24 | デッサン | Comments(0)

花のデッサン

花を目の当たりにすると、しっとりとした花びらのなめらかさ、香り、色彩に魅了されてしまいます。
その美しさに感動して、描きたい!とついつい思ってしまいます。

上手に描きたいというよりかは、「花を探りたい、花に近づきたい」というのが本音でしょうか。
実際に観察しながら描き進めていくと、今度は、花の気持ちなんかを想像してしまって、愛情が芽生えます。ついには、花になりたいなんていう気持ちが湧いてしまいます。

描いているあいだは、心の中で、「花びらは1、2、3、4、5、6枚なんだね。お!同じく、おしべも6本あるんだ。きちんとしてますね」などと語りかけてしまうのです。
描き終わる頃には、たくさんのことに気がついて、同時に、いやまだまだ何かありそうだぞ?と見かけだけでは読み取れない何かを探そうとしているわけです。

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by seibi-seibi | 2011-05-17 14:30 | デッサン | Comments(0)