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スラブ叙事詩 ミュシャ展によせて



おそらく、いままでで最大規模のミュシャの展示になろうと思われる「ミュシャ展」が新美術館で開催しています。
今回はこの展示の中心となっている「スラブ叙事詩」について。
「スラブ叙事詩」はミュシャが製作した絵画としては最大の作品群であり、それは同時に、美術史上でも最大級の大きさと威容を誇る作品です。全20点からなるこの作品は、6×8メーターのキャンバスに描かれています。描き始めたのは1915年ころで、仕上がるまで16年を要したといいます。
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「スラブ叙事詩」は、そのなのとおり、スラブの歴史と、そこに登場する英雄、あるいは伝説的人物たちの織り成す、壮大な歴史物語を絵画として表現した作品です。一人の画家が到達しえた、絵画史上もっとも大きな遺産の一つといえましょう。それら一つ一つの主題や、物語の内容については、美術史の言説にゆだねるとして、ここでは、この作品群を眼前にしたときに感じられた事柄について、述べてみたいとおもいます。
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まずその大きさ。これほどの大きなキャンバスをどのようにして調達しえたのか、それがまず、最初に感じた疑問でした。また、各作品は、おそらく後々の保存方法を考えてのことか、周囲に丸い穴が穿たれていて、それに紐を通して、さながら帆船の帆のように張られて張力をもたせているのも、興味深いものでした。
この状態であれば、はずしたのちに、丸めて保管が可能であるはずです。絵画作品、とくに巨大なものは、支持体も含めての保管と運搬が大きな問題となりますが、ミュシャはそこをクリアさせるべく、このような作品に仕上げたのでしょう。
つぎに、この作品が、油絵とテンペラによる混合技法である点も、興味を引きました。テンペラについては、セイビでも実習課題があり、馴染み深いので、その特長について若干の知識があります。
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この「スラブ叙事詩」においては、油彩で薄く下地処理しているようです。油彩は、ローアンバーのような茶系を、薄く敷いてあるようです。作品の性質上、マチェールをつけるような盛り上げはしていません。油彩で盛り上がるように絵の具を用いれば、丸めることはおろか、はずすことすらできないはずだからです。油絵は丸めればヒビが入ってしまいます。そこで、薄く仕上げた下地のうえに、テンペラで描いています。テンペラというのは、メディウムに鶏卵の黄身を用いる、水彩の一種で、透明度とつやを保ちながら、堅牢な表面を形成できる画材です。テンペラは油彩の台頭とともに下火になっていったのですが、それはヨーロッパでのことで、スラブ諸国では近代まで、いや現代においても、ポピュラーな画材の場を占めています。「スラブ叙事詩」を見たとき、最初に感じたのは、その、テンペラ絵の具の色彩、それがスラブ諸国においてしばしば用いられる、テンペラ絵の具に共通した発色だと気づいたからです。数年前にロシアアニメの巨匠「ユーリ・ノルシュティン展」を見たとき、ノルシュテインのスケッチと原画のほとんどが、同様の発色をするテンペラで描かれていたのを思い出しました。ソビエト時代の共産圏では、油彩の流通よりも、テンペラ絵の具のほうが一般的で、多くの画家たちは安価なことも会って、テンペラ絵の具を手にしていました。それはチューブで販売されていて、日本の感覚ではアクリルガッシュのような扱いでした。
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テンペラ絵の具は、細部まで描き起こすのに向いた画材です。面相筆で描き起こしていくときなど、テンペラの優れた伸びが役立ちます。ただしタッチで描き起こしたり、点描を用いたりするので、多くの場合時間がかかります。ミュシャが挑んだ大画面でも、近景のほとんどをタッチで起こしています。それがどれほど気の遠くなるような作業であったのか、想像に難くないのは言うまでもありません。奥行きのある風景をさらに際立たせるため、執拗に描きこまれた部分は、徹底的に一筆一筆、丁寧に描き起こされています。たぶん、何ヶ月も連日取り組んで、ようやく少し仕上がるといった、気の遠くなる作業を、ミュシャは労をいとわず続けていたのでしょう。
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また、その手法の多くが、写真による影響なのか、スチル写真の技法を援用しているように思われます。写真では、ピントの合った部分と、ぼけている部分を、自在に操作できます。一般に被写界深度と呼ばれる、写真技法のひとつですが、「スラブ叙事詩」には、被写界深度を彷彿とされるような、技法があちこちに見られます。
画面で最も近い柱などはピンボケに描かれていて、それより後方の、奥の人物にピントが合っている、といった写真ならではの技法が存分に駆使されているのです。ピントの合っている部分は、さながら、演劇の舞台のように光を受けた人物がいて、劇的さが際立っています。遠景の、風景とどうかしていくような群像と相まって、さながら歴史のひとコマの現場に立ち会っているかのような、演劇性を感じられるのです。
写真や映画といった、20世紀の新しい技法をも貪欲に取り入れながら、古来からの技法もふんだんに用いて描かれた圧倒的画面は、人を魅了して止まないものがあります。みなさまも一度、足をお運びになるとよろしいかとおもいます。

写真撮影 二宮もも氏

by seibi-seibi | 2017-03-11 19:52 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

今月の一冊 パウル・クレー 「造形思考」

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「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである」
「創造についての心情告白」という小論の冒頭において、パウル・クレーはこのように書いています。
 見えるようにすること、とはどういうことなのでしょうか。
 これを言い換えるのなら、ただ、現実をそのままなぞって、再現したとしても、そこに本質的なものは見えず、それを見えるようにするのが、芸術家の役割だ、ということでしょうか。
 今回紹介するのは、パウル・クレーが、バウハウス、ワイマールとデッサウにおいて、マイスターとして生徒たちに教えた記録をあつめた、「造形思考 上 下」です。この著作は長いこと絶版となっていましたが、今年、ちくま学芸文庫に再収録されました。
 この書物の特質すべき点は、一人の画家の絵画に対する考え方が、体系的にまとめめ上げられている点でしょう。ここに集められた文章は、バウハウスでの講義のためにまとめられた、クレーの講義用ノートであり、同時に、クレー自身の思考の軌跡です。じっさいに作品を作り出している、画家自身の手になるこのノートは、ただの理論に終始するのではなく、実践と試行錯誤の末にたどり着いたであろう、抽象についての理論であふれています。その文章の端々から、創造者にしか書き得ない、造形への確信が感じ取れます。
 もともと音楽家であったクレーが、もっとも大切にするキーワードは、「静的と動的」であり、「リズムとポリフォニー」なのは当然なのでしょう。クレーは抽象化にあたって、それが単に数学的、幾何的なものだけに還元されるのではなく、イメージを解き放つ、根源的要素を内在した、自律的な、動き、拡散していく、一種ののパッションを秘めたものとして理解していたようです。
 画家が描いていくとき、それはつねにイメージを生成させ、そのイメージを追いかけ、追い越し、つなぎとめる、そして絵画として定着していく、そういった、イメージの発生と発展の現場に立ち会うことです。イメージはつねに、動き続けます。動かなくなったイメージとは、創造の終焉であり、死です。立ち現れ、広がっていくイメージのなかで、画家は模索し、捜し求めていくのです。その探求の過程において絵画は生まれる。芸術がもつこのような神秘の、もっと根源において作用するのが、イメージの力です。
 抽象的な要素を強く押し出すことにより、パウル・クレーは、いっそうイメージの原野へと、思考を進めていきます。さまざまなイメージが生成し、発生し、変化し続けていく。それは完成した絵画の中でも生成し続け再生産される、ということを、クレーは体系的にまとめ上げていきます。しかし、クレーの文章には、理論だけで終わらない、生き生きとした、イメージへの、ほとんど音楽家のようなまなざしが常にあって、そのことが、この書物の、もっとも魅力的なところかもしれません。
 芸術を志す、イメージを追及していこうとする若い人たちにこそ、一度は手に取っていただきたい、そういう書物です。
by seibi-seibi | 2016-08-11 16:58 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

「クエイ兄弟 ファントム ミュージアム」展に行く

 昨日は37度超えの「激暑」だったようですが、そんななか、鎌倉近代美術館葉山館で開催されている、「クエイ兄弟 ファントム ミュージアム」展に行ってきました。

 ストップモーションアニメの領域でカルト的な人気を誇る、クエイ兄弟。一卵性双子の兄弟であるかれらは、アメリカに生まれ、1980年代以降、アニメ作品を発表します。イラストやグラフィックデザインの仕事もこなしていたかれらが、アニメーション製作に移行したのは、ロンドンのカレッジ・オブ・アートに移籍し、イギリス映画協会(BFI)の、キース・グリフィスによるバックアップを受け始めてからです。

 1986年、最初のアニメーション作品「ストリート・オブ・クロコダイル」によって、名声を確立したかれらは、以降、数多くのアニメーション作品を作り続けます。最初期は16MM フィルムで、のちに35MMになり、90年代には354MMシネスコに進化します。2000年代からはデジタルに移行し、さらに表現の幅が広がったといっていいでしょう。

 クエイ兄弟の作品は、彼らが紡ぎだす、魔術的で、不合理、幻術的でときにグロテスクな、それはかれら自身にしか、道しるべをつくれないたぐいの、迷宮へといざないます。それを言説化するのはむつかしく、かれらのイマジネーションを理解するには、ただ、作品を見てもらうしかないとおもいます。

 今回の展示では、アニメーションのために成功に作られた、箱庭のような、セットが展示されています。それはまさに、かれらの心の世界のミニチュアであり、その完結した幻想世界、いいかえれば、どこにもない場所の具現化にほかなりません。

 ふたりの心の中にある、イマジネーションを、ひとつの形あるものとして現出させる、イメージにかたちを与える、その過程が、仔細にわたってみわたせる展示となっています。
 一貫してゆるぎない作風。幻想的である以上に、どこか強迫的な世界構築。かれらが敬愛するアルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルの作品を引用するまでもなく、彼らの世界はシュールレアリズムと幸福な結婚をしているのであり、ここではない別の場所、どこにもない場所のありかを、見るものに示してくれています。

 アニメーション製作に興味がある方にとって、この展示は宝の山でしょうし、ただかれらの世界を見続けたいひとにとっては、世界の向こうへといざなう、素敵な展示だといえましょう。


by seibi-seibi | 2016-08-10 13:45 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

声ノマ 全身詩人 吉増剛造展にいく

 今週末まで開催されている「声のノマ 全身詩人 吉増剛造展」をみてきました。
国立近代美術館としては、初の、詩人の企画展です。日本の美術館でも、このような展示が行えるようになったことに、驚きと喜びをかんじています。
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 吉増剛造は、現代日本を代表する詩人の一人で、その難解さでも知られています。詩というメディアが、本来、きわめて個人的な作業からはじまって、その思索の道のりも、個人的なものであり、そのような性格から、詩人という創造者は、社会からも人からも一定の距離をとって、佇むような立ち居地にあります。「難解さ」とは、詩人・詩ということばじたいが、社会で用いている、言葉・言語のコードから離れているところからきます。
 しかし、難解という先入観をはずして、詩の創作の現場と向き合えば、そこにはヒューモアであったり、言葉と戯れる快楽すらも感じられるのではないでしょうか。
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 今回の展示は、詩人 吉増剛造のこころの襞の隘路に、見るものを導いてくれる、とても興味深い展示になっていました。吉増剛造が書き記した、日記や、それは、公開を前提としない、個人的な言葉の発露であったり、覚書であったりするのですが、ひとりの、生きている人・詩人・人間の息づかいが伝わってきます。時系列で並べられた日記には、詩人・吉増剛造の反復し、反芻している思考と思索が、表れ、それは、ノートの使い方や、文字の乱れの中にこそ一層、現れてきます。テクストが語るというべきでしょうか。
 また、多重露光を、意識的に利用した写真を撮り続けた吉増剛造の、世界のさまざまな地域、場、を交差させる、写真が展示されています。一見何の脈絡もない(それはつまり見ているわれわれにとってはなのですが)、二つ以上の世界が、一枚の印画紙の上に定着するとき、世界のあやふやさも感じ取れますし、いくつもの現実と、世界を平行し、重ね合わせて、思索し続ける、人間本来の、多層的、多角的な重層思考を、写真からも感じられます。
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 震災以降の作品として結実した「怪物君」の原稿は、そうした詩人・吉増剛造の、詩人意識の現われを見ているようで、強い衝撃を感じさせずにはおきません。テクストは、びっしりとかれた言葉・コラージュされ、書きなおされ、消され、重ねられた文字と、絵によって、一条の長大な巻物のようになっています。時間の軸もその長さには、とうぜん内包されているでしょうし、吉増剛造の思索の時間、そのものが、姿を現してきます。
 声・おと・沈黙。そういった言葉の持つ、起源にまで、思索は遡っていきます。発話すること、それは空気を息で震わせること。無音の中に、音の波をつくりだすこと。ことばは音であり、音にはさまざまな表情が当然あって、そういう音としてのことば、それは詩の誕生する場でもあるのでしょうが、そこにまで遡及して、分解してかんがえていく。詩人・吉増剛造の、日常は、つねに、ことばの向こうにあるなにか、ことば以前のなにか、詩の発生の瞬間の、その一瞬の閃きに立ち会おうとしているように思えます。
 展示はすべて、暗く、照明を落とした空間をいくつかに仕切って、そこをめぐるようになっています。ひとりの詩人の、ことばをつむぐ思索の、その内奥へ、詩人の記憶の内側へと、向かっていく、そんな感じの展示になっています。もう一週間を切ってしまいましたが、時間のある方はぜひ、見てください。
by seibi-seibi | 2016-08-01 13:45 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

マヌエル・アルバレス・ブラボ展に行く

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現在、世田谷美術館で開催しています「マヌエル・アルバレス・ブラボ展」に行ってきました。
今日は35度を超して、今年初の猛暑日。この展示にふさわしい気温でした。
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ブラボといってもなじみが少ないかと思います。1902に生まれ、2002年、100才で死去した、ブラボ、(メキシコ的にいえば、ドン・ブラボ)は、メキシコ革命と、近代化のすべてを見た写真家といえましょう。メキシコではよく知られた写真家の一人です。独裁の時代に生まれ、なくなったのは二十一世紀。写真家としてのキャリアは75年にも及ぶといいます。ブラボの写真は、かれの「作品」としてより、メキシコの土着の風景や人物を写したものとして、さまざまなメディアに紹介されています。メキシコといえば思い起こされるイメージ形成にも一役かった写真家のようにも感じます。
しかし、今回の展示を見ていると、一つの文化と風土に対するイメージを、ブラボが造りだしたのではない、と感じました。ブラボの写真は、メキシコという場に特有な、ある印象と繋がっていると、わたしは感じるからです。
わたしは、むかし、何度かメキシコを訪ねたことがあります。最初は1979年。わたしは高校二年生でした。LAから飛ぶこと4時間あまりで、わたしはメキシコシティに降り立ちました、しかし、「太陽の国メキシコ」は、観光案内の陽気さとはまったく異なった、無口で、人を寄せつけない、どこかよそよそしい表情をみせました。。この印象の内奥にあるものをオクタビオ・パスの「曇り空」「孤独の迷宮」や、ル・クレジオの「メキシコの夢」をのちに読むうちに、すこし理解したのですが、17才のわたしには、違和感だけが募ったのでした。わたしは、この奇妙な疎外感を感じながら、チャプルテペック公園内の「メキシコ国立人類学博物館」をたずね、アステカやマヤの遺物と向き合いました。
わたしは毎日、公園までの街中を歩き、郊外の住宅地にも向かいました。その小旅行で、いちばん印象に残ったのは、壁なのでした。
粗末な外壁。それは南国らしい激しい色で塗装されたものも多かったのですが、土色や、褐色のままの外壁。それがどこまでも続くのです。
ある壁には、庭先から伸びたブーゲンビリアが這い、ピンクの花を咲かせていました。
その壁の前で物売りをするメスチーソの少女。ビニールの上に広げた果物をまえに、壁に寄りかかり客を待っています。表情の少ない顔。そのおおくは、目深に被った帽子で見えません。
あるいは、荷物をいくつも抱えて歩く親と娘。小学生くらいの娘ははだしです。
東京より大きく拡がった近代都市メキシコシティ。車の行き交う様子はアメリカの田舎と変わりません。しかし、その歩道では、はだしの子や、物乞い、ギャングまがいの少年(ニーニョとはとても形容できません)そういう人々が、壁にもたれている。それがメキシコシティの印象でした。
わたしは、壁を背景にした、壁とともにある人々として、メキシコ人を知ったのです。この感覚はずいぶん時を経たいまでも、変わりません。
ブラボの写真でも、壁を背景にした人やものを写した作品が多いようです。人物と背景の壁。その距離も近いので、奥行きはなく、ある種の圧迫感を感じます。朽ち果てて何度も補修した外壁。室内の粗末な、装飾の少ない壁。あるいは墓場の壁。ブラボは、それを画面の構成要素として取り入れています。また、漆喰を塗り重ね、日にさらされてできたマチエールもまた、画面の重要な素材として取り入れていきます。
わたしがそれらの写真を見るとき、それが優れてメキシコ的な風景だと感じるのです。どこまでも続いていた壁と、照りつける陽光。強く歩道を切り抜く翳。メキシコの景色は、すでに構成的で、どこか抽象的なのです。ブラボは、メキシコ人として、アタリマエの日常を、きわめてメキシコ人らしい感覚で、フィルムに収めたのだと思います。
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わたしにはそれらの写真が、チャプルテペック公園近くにスタジオを構えていた、建築家・ルイス・バラガンの、マゼンタ色の外壁をも想像させるのです。バラカンの建築、特に自邸は、住まい内部に意匠を凝らしていますが、概観は贅沢さを感じさせない、素っ気ない、簡素なつくりをしています。ここにも、ブラボが写真に収めた、メキシコの風景が、つらなって感じられるのです。
また、ブラボもポートレートを撮影しているルフィーノ・タマヨの抽象画も、ブラボの写真の中の壁に通じるマチェールを感じてしまうのです。
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展示゜は、8月いっぱいまで。熱い夏にぴったりの、静けさと翳りを堪能できる写真展です。
by seibi-seibi | 2016-07-03 16:04 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

モチーフ台

アトリエというところには、いくつもモチーフ台があります。
石膏台、静物用の台、モデルさん用のモデル台。
ここにあげたのは、セイビで一番古い、モチーフ台兼モノ入れ。
発足当時からあったので、40年の長きにわたり、アトリエの隅に置かれてきました。
これは、モノ入れなので、画材とかを収めるのに活躍し、モチーフも載せられ、
さらにはテーブル代わりにも。
いまではこの台の存在に気づく人は少なくて、活躍の機会も減りました。
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むかし、まだこの台が真新しかったころ、あるあだ名がついていました。
だれかが気まぐれで、そう呼び始めたのでしょう。

それは「ひつじの箱」。
わかりますか。
気づきますか。

童話『星の王子さま』にでてくる、あの箱なのです。
砂漠の真ん中に不時着した飛行士である主人公が、
出逢った王子さまから、
「ねえ、ひつじの絵を描いて」と注文されます。
あまりにも状況にそぐわない注文です。
主人公は紙を探して、不器用に、なん枚か描くのですが、
ちっとも気に入ってくれません。
最後にいくつか穴の開いた、箱の絵を描いて、
「ひつじはこのなかにいるよ」と答えます。
すると王子さまは、気に入ってくれる。
王子さまには、箱の中にいる羊が見えるのです。

おとなになると、みんな、ひつじが見えなくなります。
いつのまにか、つまらない事柄や、名誉やお金に気をとられ、
もっとも大切なこと、が見えなくなるのです。

さてモチーフ台のなかにいる、ひつじが、あなたには見えますか?
そして、いまの私にも見えるのでしょうか。
by seibi-seibi | 2016-06-29 15:22 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

浦沢直樹展で

最近は、「アニメ・ゲーム・マンガ」この三つのメディアが、巷間を席巻し、隆盛を極めています。
そのどれもが、決して、現代に特有な現象ではないことは、浮世絵や双六などのボードケームを想起してみれば一目瞭然でしょう。ゲームもマンガも、人の歴史のなかで、つねに存在してきたのです。そんな普遍的なメディアにおいて、とくにマンガを牽引している、「浦沢直樹展 描いて、描いて、描きまくる」が世田谷文学館にて開催中です。
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『パイナップルARMY』『YAWARA!』『MASTERキートン』『Happy!』『MONSTER』『20世紀少年』『PLUTO』『BILLY BAT』
スポーツマンガから、政治背景を題材にしたもの、あるいは、SF的であったりする、浦沢作品は、作品全体の完成度の高さから言っても、現代を代表するマンガであるといえましょう。この展示では、原画とネーム、アイデアノートなど、作家の全体像が垣間見えます。
とくに興味深いのはネームや幼少期の雑記帳の類でした。
とにかく小さいときから、描くのが好きで、何か見たら描いてしまわずにいられない、そういう浦沢少年の横顔が見えてくるようです。戦車や車など、少年が興味を持つモチーフを、ただ一生懸命描き移したスケッチ。鉛筆だけを手に、まわりの世界を描き続けていく、好奇心と探究心。これこそが、描くことのもっとも根底にある衝動となるのだと、展示品は教えてくれます。
マンガ家として、完成した原画の、繊細な絵もまた、人を捕らえて話さない魅力がありますが、その背景には、とにかく見たものは書き留めてしまう、ゆたかな貪欲さが隠されているのでしょう。
「マンガ家は、大変で、べつにオイシイ仕事じゃありませんよ」と、某マンガ家さんに言われたことがありますが、描き続けることは、思いついたことを形にする、とても面倒で地道な作業の積み重ねなのでしょう。
これからマンガ家になりたいと考えている人にも、絵が好きなひとにも、ぜひ見てもらいたい展示なのでした。
by seibi-seibi | 2016-03-19 12:45 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

扉の向こうに

今週は春の足音も聞こえてきそうな暖かさにめぐまれて、草花も芽吹きはじめているようです。
春はまた、美術展の季節でもあります。
というわけで、少し美術展の紹介などを。

フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展
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レンブラント、フェルメールに代表される、17世紀オランダ絵画の展示です。
肖像画や風景画、そして「日々の生活を切り取ったような」作品。
17世紀といえば、オランダがその支配をアジアにまで伸ばし、VOC オランダ東インド会社を通じて世界の富を集めていた時代です。富が豊かになれば、美術や建築が隆盛してくるのは、世の東西を問わず、当時のオランダでも、裕福な人々が依頼して、風景画などを描かせたというわけです。
その中でもフェルメールに代表される、室内を描いた作品の多くが、今回の展示の目玉でしょうか。
その「室内画」のおおくは、なにかしている人物、そして光の差し込む室内という、かなり定型化された表現がおおいようです。このような絵画じたい、当時の流行であったのでしょう。描かれたのは依頼主かその家族だったのかもしれません。
今回展示されている「室内画」を良く見ていると、類似した表現にであいます。
それは、人物の背景にある、開け放たれた扉です。扉の向こうに見えるのは、隣部屋です。その部屋にはだれもおらず、ただ壁面やら調度品が描かれています。その部屋の扉もまた、多くの作品では開いていて、一つ奥の部屋がみえるのです。
おそらく開き放たれた扉は、絵に奥行きを持たせ、同時に構図に変化を与えるために、画家がかんがえた企みなのだろう、と考えられます。開いた扉のむこうの、一つ奥の空間が見えることで、絵画に奥行きをあたえられ、ともすれば閉塞的になりやすい室内を、開放しているのだとかんがえられます。
しかし、扉の向こうには、誰の気配もないのです。人も人影も描かれていない。それは、リアリズムからすれば甚だ奇妙な静的な空間。それが背景に広がっています。本来あるだろう日常の騒がしい営みや、生活の実際は、どの「室内画」からもかんじられず、むしろ排除されているかのようです。椅子に腰掛け、あるいは書き物をしている人物からも、喧騒よりも落ち着いた、音のない世界を感じさせるのです。
そうかんがえてみると、このような絵画が、必ずしも生活を描写しようとしたのではなく、人物を一つの静物のように捕らえ、再構成した、きわめて作為的な絵画のように見えてくるのです。
扉の向こう、陽が差し込んだ室内も、その静物としての人物を、引き立たせ、時間さえ拭い去ってしまったような、不思議な静けさをつくりだす、空間的、構成的な手立てのようにも感じられるのです。
それはほかの風景画にもいえることで、そこにはリアルな音がないのです。
「無音の静けさ」は、当時のオランダのなにかを反映したものなのか。
さまざまな感慨を抱かせる展示です。
by seibi-seibi | 2016-03-17 15:01 | 人と絵と、イメージ | Comments(1)

卒業生の活躍

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先日、ムサビ映像学科を卒業し、現在はミュージッシャン・アーティストとして活躍している吉田悠さんが遊びに来てくれました。ムサビを卒業から6年が過ぎたとのことです。吉田悠さんについては、以前、かれがバンクーバー国際映画祭短編アニメーション部門に招待出品した折に、書いています。

その後かれは、かって、録音機の花形であったオープンリール(70年代、カセットテープより数倍のレンジを誇った機器)とコンピュータをつなぎ、音楽を創造するバンドOpen Reel Ensembleに参加しています。ムサビ卒業後バンド活動をはじめ、その先進性によりCBS-SONYと契約。活動範囲を海外に展開しました。現在、スペイン・フランス・ドイツ・クロアチアなどヨーロッパツアーを行い、現地で高い支持を得ています。2012年、坂本龍一氏がプロデュースするエイベックス内のグループcommonsからファーストアルバム「Open Reel Ensemble をリリース、このCDには高橋幸宏氏、やくしまるえつこ氏、大野松雄氏も参加しています。またISSEY MIYAKE 2013-14 Autumn / Winter の音楽担当として、パリコレの舞台に立ちました。
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そのかれに、ムサビでのことなどを聞きました。
ムサビ受験前、かれは、クラシックがスキでありピアノを学んできていること。好きなアーティストは、ヨーヨーマであることなどを快活に話してくれました。「ぼくの好きな音楽と、アニメーションや映像をミックスした作品をつくりたい」かれは、映像学科への志望として、明確なビジョンを話してくれました。

ムサビでも、その気持ちは変わらず、アニメを作る傍ら音楽活動を続け、音符をもちいない楽譜である図形楽譜に興味を持ちます。その後、図形楽譜をアニメーションとして展開し、作曲した音楽をつけたアニメーションへと結実していきます。「ムサビでは、いろいろな人に逢えた。そして音楽をしたい仲間もつくれ、とても良い4年間だった」かれは、美大での出逢いのすばらしさを語ってくれました。これから美大受験を目指す人たちにも、刺激になる話しであったかと思います。

by seibi-seibi | 2015-05-19 13:22 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)

ボッティチェルリとルネサンス展に行く

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 5月2日。五月晴れ。
 多くの方が今日からゴールデンウィークでしょうか。
 この休みを利用して、美術館や文化施設を訪れるのもいいでしょう。
 今回は『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』展について書きまます。15世紀。クワトロチェントを代表するルネサンスの巨匠の一人、それがボッティチェリ(1445-1510)です。ヨーロッパ文化の大きな転換点、そのまさに最高潮の時期にフィレンツェで誕生したボッティチェルリは、時代が必要とした芸術家だったといえましょう。
 当時フィレンッエ共和国は、銀行家メディチ家当主 コジモ・デ・メディチにより、繁栄を極めていました。コジモはまた、みずからの得た富を、様々な分野の芸術家の育成と擁護に用い、フィレンツェを芸術都市へと変貌させていったのです。
 また時を同じくして、コジモ自身が奔走してこぎつけた、フィレンッエ公会議の開催(1439年)により、東方教会からの使節団とともに、多くの学者がフィレンッエを訪れ、かれらが古代ギリシア哲学を、もたらしたのでした。当時まだイタリアでは知られていなかったプラトンの哲学が紹介され、コジモはプラトンに心酔し、「プラトンアカデミー」を作ってしまいます。プラトン哲学の研究施設です。ここでギリシア語からラテン語への翻訳作業が始まり、フィレンッエにおいて、プラトン哲学の復興が起こります。いわゆるネオプラトニズム(新プラトン主義)の誕生です。古代哲学と文学、彫刻、建築、芸術の様々な知が再結集され、見直される過程こそ、世に言うルネサンスなのです。
ボッティチェリが生まれたとき、時は熟していました。かれが8歳のとき、百年戦争が終結。同時に東ローマ帝国が興亡します。(コンスタンチノープルの陥落) コジモがなくなった年に、フィリッポ・リッピの工房に19歳で弟子入り。21歳でヴェロッキオ工房に出入り。レオナルド・ダ・ヴィンチもいただろう工房で腕を磨き、作品をつくりはじめます。かれが生きた時代は、メディチ家の絶頂期であり、その資金力を背景に、壮麗な美術作品が製作されたのです。

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今回の展示は、「受胎告知」のフレスコ画を中心とした重要作品が多く展示されています。特質すべきなのは、フレスコ画が展示されていることです。フレスコ技法というのは、生乾きの漆喰に、絵の具をしみこませ、乾燥させる技法です。この技法で描かれるのは、おもに建物の内壁や天井ですから、建物外に持ち出すことはできないのです。今回展示されたフレスコ画は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ施設院付聖堂から1920年にはがされたものです。フレスコは、その技法の性質上、素早く描かなくてはなりません。漆喰が乾く前に完成させるためです。しかし、今回展示のそれは、細部まで描かれており、完璧ともいえる遠近法の採用も考えると、乾式法による彩色であろうと思います。これは乾いた漆喰に対して施される技法で、この場合、細部までの描写を許す時間が稼げるのです。ミケランジェロの「最後の審判」より数段細かな描写は驚嘆すべきものがあります。
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「受胎告知」部分

「受胎告知」に特徴的な構図を踏襲し、右にマリア、左に大天使を配し、静謐な空間が作られています。音のない世界。特別な時間のなかで、お告げが行われる。超自然的な絵であるのに、自然な空間を描くことで、神聖さを感じさせています。ボッティチェリに特有な、そこに一陣の風が吹き込んだかのように、はためく天使の衣や髪。それが動きのないような絵の中に、動きを与えています。そう、天使は舞い降りてきたのです。

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開廊の聖母

 さて、ほかの作品のほとんどはテンペラ技法で描かれています。テンペラは、水彩に近い技法で、細部を描き分けるのに適しています。また卵黄をメディウムとして水で伸ばせるので、簡易な道具があれば描けますし、耐久性も抜群です。テンペラのみで描くこともできますし、油絵の具との混合技法や、金箔による装飾もできます。ルネサンス期は、テンペラ技法と油絵技法の橋渡しをした時代でもあり、絵画技術の発展も、ルネサンスの特徴です。
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 テンペラは卵黄を使うので、乾くと光沢が生まれてきます。ですから、多くの作品は表面がピカピカしています。また、計画的に長期間の製作が可能なのがテンペラ技法なので、大きな作品の場合、手順を決めて、描き進めていったものと考えられます。かなり工芸的な描き方とも言えます。
 今回の展示でも、その工程がわかるようです。というのは、作品に反射する光を上手く捉えられる一から見ていると、画面内のテンペラ絵の具の厚さがはっきり見えるからです。
 すべての作品が、とはいいませんが、顔の部分は比較的薄く処理され、その周りの着物や帽子、装飾品のほうが、幾分か厚めになっています。ということは、人物の顔については、下書きののち、比較的早く描き始め、これをある程度完成させてから、着物や衣服を描き重ねたのではないでしょうか。テンペラは描いてしまうと強力な皮膜ができて、はがして直すことは難しいので、顔は先に描いて、そののち周囲を描いたのでしょう。
 また、服の模様や襟など、順番を決めて描いたことも、絵の具の厚さから伺えるとおもいます。ボッティチェリはテンペラ技法において、その才能を発揮した画家であり、今回の展示は、テンペラ技法の成熟期の作例を見られる、またとない機会となっています。会期はまだありますので、ルネサンスの偉人の作品を、楽しんでみてはいかがでしょうか。


by seibi-seibi | 2015-05-02 19:01 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)