スラブ叙事詩 ミュシャ展によせて



おそらく、いままでで最大規模のミュシャの展示になろうと思われる「ミュシャ展」が新美術館で開催しています。
今回はこの展示の中心となっている「スラブ叙事詩」について。
「スラブ叙事詩」はミュシャが製作した絵画としては最大の作品群であり、それは同時に、美術史上でも最大級の大きさと威容を誇る作品です。全20点からなるこの作品は、6×8メーターのキャンバスに描かれています。描き始めたのは1915年ころで、仕上がるまで16年を要したといいます。
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「スラブ叙事詩」は、そのなのとおり、スラブの歴史と、そこに登場する英雄、あるいは伝説的人物たちの織り成す、壮大な歴史物語を絵画として表現した作品です。一人の画家が到達しえた、絵画史上もっとも大きな遺産の一つといえましょう。それら一つ一つの主題や、物語の内容については、美術史の言説にゆだねるとして、ここでは、この作品群を眼前にしたときに感じられた事柄について、述べてみたいとおもいます。
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まずその大きさ。これほどの大きなキャンバスをどのようにして調達しえたのか、それがまず、最初に感じた疑問でした。また、各作品は、おそらく後々の保存方法を考えてのことか、周囲に丸い穴が穿たれていて、それに紐を通して、さながら帆船の帆のように張られて張力をもたせているのも、興味深いものでした。
この状態であれば、はずしたのちに、丸めて保管が可能であるはずです。絵画作品、とくに巨大なものは、支持体も含めての保管と運搬が大きな問題となりますが、ミュシャはそこをクリアさせるべく、このような作品に仕上げたのでしょう。
つぎに、この作品が、油絵とテンペラによる混合技法である点も、興味を引きました。テンペラについては、セイビでも実習課題があり、馴染み深いので、その特長について若干の知識があります。
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この「スラブ叙事詩」においては、油彩で薄く下地処理しているようです。油彩は、ローアンバーのような茶系を、薄く敷いてあるようです。作品の性質上、マチェールをつけるような盛り上げはしていません。油彩で盛り上がるように絵の具を用いれば、丸めることはおろか、はずすことすらできないはずだからです。油絵は丸めればヒビが入ってしまいます。そこで、薄く仕上げた下地のうえに、テンペラで描いています。テンペラというのは、メディウムに鶏卵の黄身を用いる、水彩の一種で、透明度とつやを保ちながら、堅牢な表面を形成できる画材です。テンペラは油彩の台頭とともに下火になっていったのですが、それはヨーロッパでのことで、スラブ諸国では近代まで、いや現代においても、ポピュラーな画材の場を占めています。「スラブ叙事詩」を見たとき、最初に感じたのは、その、テンペラ絵の具の色彩、それがスラブ諸国においてしばしば用いられる、テンペラ絵の具に共通した発色だと気づいたからです。数年前にロシアアニメの巨匠「ユーリ・ノルシュティン展」を見たとき、ノルシュテインのスケッチと原画のほとんどが、同様の発色をするテンペラで描かれていたのを思い出しました。ソビエト時代の共産圏では、油彩の流通よりも、テンペラ絵の具のほうが一般的で、多くの画家たちは安価なことも会って、テンペラ絵の具を手にしていました。それはチューブで販売されていて、日本の感覚ではアクリルガッシュのような扱いでした。
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テンペラ絵の具は、細部まで描き起こすのに向いた画材です。面相筆で描き起こしていくときなど、テンペラの優れた伸びが役立ちます。ただしタッチで描き起こしたり、点描を用いたりするので、多くの場合時間がかかります。ミュシャが挑んだ大画面でも、近景のほとんどをタッチで起こしています。それがどれほど気の遠くなるような作業であったのか、想像に難くないのは言うまでもありません。奥行きのある風景をさらに際立たせるため、執拗に描きこまれた部分は、徹底的に一筆一筆、丁寧に描き起こされています。たぶん、何ヶ月も連日取り組んで、ようやく少し仕上がるといった、気の遠くなる作業を、ミュシャは労をいとわず続けていたのでしょう。
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また、その手法の多くが、写真による影響なのか、スチル写真の技法を援用しているように思われます。写真では、ピントの合った部分と、ぼけている部分を、自在に操作できます。一般に被写界深度と呼ばれる、写真技法のひとつですが、「スラブ叙事詩」には、被写界深度を彷彿とされるような、技法があちこちに見られます。
画面で最も近い柱などはピンボケに描かれていて、それより後方の、奥の人物にピントが合っている、といった写真ならではの技法が存分に駆使されているのです。ピントの合っている部分は、さながら、演劇の舞台のように光を受けた人物がいて、劇的さが際立っています。遠景の、風景とどうかしていくような群像と相まって、さながら歴史のひとコマの現場に立ち会っているかのような、演劇性を感じられるのです。
写真や映画といった、20世紀の新しい技法をも貪欲に取り入れながら、古来からの技法もふんだんに用いて描かれた圧倒的画面は、人を魅了して止まないものがあります。みなさまも一度、足をお運びになるとよろしいかとおもいます。

写真撮影 二宮もも氏

by seibi-seibi | 2017-03-11 19:52 | 人と絵と、イメージ | Comments(0)


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