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「創りだすこと」について

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人間は「モノ」をつくりだす存在である。
この、人間がつくりだす能力、つまり創造性について、
わたしは、考えています。
3月11日以降とりついて離れないのは、このことなのです。
しばらくのあいだ、不定期にですが「創りだすこと」について考えてみたいと思います。
美術研究所にいて、毎日、何かしらつくりだす現場にいる者として、
いま、このことを考えなくてはならないときなのでしょう。

ほかの生物と人間を隔てているものの一つである「創造性」。
人という存在は、ただ生きて、死んでゆくことなどできず、
つねに何かを創りだしてきました。
もうそれは宿命といってもいいほど切り離せない行為なのです。
言われなくても、強制されなくても、
モノを考え考案し、つくり、改良を重ねる。
人間の歴史は、この創りだすことの歴史であったといっても過言ではないと思います。

この創りだすことの原動力である「創造性」は、
人間の善意に根ざしている。
換言するならば、創造性という言葉は、
人間は必然的に、良いものを創りだす、
という暗黙の了解を含意している、と思うのです。
たとえそれが利便性や合理性、快適さの追求であったとしても
基本的には、それを支えているのは善であろうと、考えてきた。
しかし、今回の一連の災厄のなかにあって、
その善なものの背景に隠れていた、悪なるものが見えてきた、
いや、見えてしまったと思うのです。
現在進行している原発の事態を見ていると、
人間が良かれと考えて創りだしたものが、
いつの間にやら不幸にも、
危険なものに取って代わってしまったと感じるのです。

性善説でくるまれていた「創造性」が逸脱して、
歪んだ形で発現してくるのを目の当たりにしたとき、
人間のやってきたこと、作り出したものに疑念が生じるのは当然のことです。
そんな事態の渦中にあって、
それでも人間の創造性に信頼を取り戻すためにも、
創りだすことについて考えなくてはいけないと思うのです。
数百万年前、たった一つの磨製石器を作り出した人間が
物質の構造を操作して恩恵を得るまでに至ったのです。
この人間という生物、努力し思考していく生物の、
これからを、創造性抜きには考えられないのであれば、
創りだすこととは、いったい何なのでしょう。
皆さんも、ぜひ、考えてみてください。
by seibi-seibi | 2011-04-21 16:04


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